しべりあげきじょう

ロシア国立ブリヤート歌劇場首席トランペット奏者  齋藤友亨のブログ (旧あうすどいちゅらんと)

しべりあげきじょう

【水野蒼生 】日本の音大を半年でやめてヨーロッパに飛び出した指揮者 【留学】

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©︎Keisuke Mitsumoto

水野蒼生はヨーロッパで勉強する仲間

僕も今年で24歳なので同世代が増えてきましたが、ドイツに来た当時の19歳の頃はほとんど全員年上でした。あの頃の先輩たちの歳になってるんだなーと思うと時間が経つのが早くて驚きます。

僕は東京音大に1年間通って退学してドイツに来たんですが、東京音大を半年で退学してオーストリアに留学した指揮者と最近知り合いました。

そうしたらまさかの同い年で、東京音大の同期!

 

彼の方が半年早かったですが、あまりにも境遇が似ているので色々と話をきいてみたらとてもおもしろい感性をしていて

何よりも”日本のクラシックを盛り上げたい!”という想いが強くて斬新なアイデアをたくさん持っている人でした。

 

”新卒を捨ててフリーランスになります!”

 

的なことが流行っていましたが

大学そっこーでやめていきなり海外へ飛び出します!

って指揮者の方がもっとおもしろくないですか。

 

話をしていたら彼の人生があまりにもドラマチックだったので、インタビュー形式で彼の魅力を伝えていったみたいと思います。

 

 

目次

水野蒼生のプロフィール(2019年現在)

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1994年生まれ。 幼少期からピアノを、12歳でヴァイオリンを始める。

2009年から2011年までの3年間、夏に金沢で催された井上道義氏の指揮者講習会に参加し、 そこで初めての指揮の手ほどきを受ける。

2011年には同講習会の優秀者に選ばれリレーコンサートに出演し、IMA弦楽アンサンブルを指揮する。

2013年夏にオーストリア国立モーツァルテウム音楽大学にて催されるサマーアカデミーに参加。 指揮をペーター・ギュルケ氏に師事。ディプロマを会得。

2014年秋からザルツブルク モーツァルテウム音楽大学に入学。オーケストラ指揮と合唱指揮を専攻。

2015年夏にザルツブルク州立歌劇場のカペルマイスター:エイドリアン・ケリーの下で 副指揮者としてブリテンのオペラ「ノアの洪水」を指揮。

2016年にはザルツブルクの劇場「Oper im Ber Festival」にてモーツァルトのオペラ「魔笛」を3公演にわたり指揮、好評を博す。

2016年秋よりブラウナウ・ジンバッハ・楽友協会の副指揮者に就任。

これまでにオーケストラ指揮をハンス・グラーフ、ブルノ・ヴァイル各氏に、現代音楽指揮をヨハネス・カリツケ氏に、合唱指揮をカール・カンパー氏に師事。

2016年2月、ライブハウスで大音量で楽しむピアノリサイタル「東京ピアノ爆団」をプロデュース。

同世代の3人のピアニストのリレー形式のリサイタルと水野自身のオーケストラ楽曲のみでのDJプレイが話題を呼んだ。

 2017年夏にはクラシック界の新しいアイコンとなる若手室内オーケストラ、「O.E.T(オーケストラ・アンサンブル・東京)」をクラウドファンディングで立ち上げ、結成記念公演では400人超を動員。大盛況へと導いた。

2018年ドイツ・グラモフォンより、の膨大なカタログの中から選りすぐりの名演をセレクトし、自身の手でミックスした前代未聞のアルバム『Millennials -We Will Classic You-』をリリース

MILLENNIALS -WE WILL CLASSIC YOU-

MILLENNIALS -WE WILL CLASSIC YOU-

2018年秋ドイツ・グラモフォン主催のクラブイベント「Yellow Lounge in TOKYO」のオフィシャル・キュレーターに就任。

2019年ラフォルジュルネ東京でのクラシカルDJで話題に。

 

水野蒼生のYouTube Vlog

www.youtube.com

水野蒼生が指揮者を志すまで

のびのび音楽をしていた幼少期

-子どもの頃から指揮者を目指して勉強してたの?

蒼生

子どもの頃からピアノは一応やっていたけど全然本気でってわけじゃなくて、小学生の頃はまじで恐竜博士になりたかった笑 まじで化石発掘に行ったりしてたし、留学する気満々だった笑

 

ピアノは母園の幼稚園の園長先生にずっと習っていたけどバイエルとかツェルニーとかやるのが嫌すぎて、

ベートーヴェンとかモーツァルトの"どうしても弾きたい!"って曲を1年ぐらいずーっと練習してる感じだった。

当時は楽譜もちゃんと読めなかったからほぼ耳コピ。

まさかのヴァイオリンをもらう事件

-いつから本気になったの?

蒼生

中学1年の頃に転機があったんだよね。

ある日大雨が降っていて傘がなかったから、いつもピアノを教わっている幼稚園の前を通りかかったら園長先生がいて、雨宿りさせてもらいに入った。

それで園長室に入ったらヴァイオリンが置いてあって、先生にいきなり

 

それあなたにあげるわよ(どん!)

 

って言われてまじでヴァイオリンをもらって帰ってきたw

これは用意してたとかじゃなくて、本当にいらなかったらしい。笑

 

そんで園長先生がヴァイオリンの先生を紹介してくれて、ヴァイオリンを始めたらドはまりして、ピアノも真面目に取り組むようになって、クラシック音楽がどんどん好きになった。

 

それでヴァイオリンを始めて3ヵ月目で

ヴァイオリニストにおれはなる!(どん!)

 

って言ってたんだけど、始めたのが遅すぎるから諦めろと言われて断念。この時に

 

あー、じゃあ指揮者になろっかなー。

くらいには考えてた。

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©︎Keisuke Mitsumoto

水野蒼生は中学生の時は吹奏楽部でフルートを担当

-中学では部活とかしてた?

蒼生

中学では先生に勧誘されて吹奏楽部に入部して、家には祖父が母に買った70年ものくらいのフルートがあったら、フルートをやることにした。

指揮はその時に吹奏楽部の練習だったり合唱コンクールでしたくらいかな。

 

フルートで音高にいこうかとも考えたけど、夏のコンクールの練習が過酷すぎてまさかのテニスひじになって、本当に吹けなくなるくらいに腕を壊してしまった。

 

フルート吹いてテニスひじってなんだよw って感じだったけど、その時は3ヵ月くらいヴァイオリンも弾けなくて。

音高への進学も考えたけどそのまま一般高校に行くことにした。

水野の井上道義先生との出会い

-初めての指揮のレッスンは?

蒼生

ずっと指揮者の井上道義先生がすきだったんだけど、高1の夏に彼の初めての講習会が開催されることになって

 

まあどうせ音大生とか向けだろ…

って思って要項の参加資格を見てみたら

 

・15歳以上でツェルニー以上のピアノが弾けること

だったんだよね。

 

え、おれ15になったばっかじゃん!!

ってことで申し込んだら合格して参加できることになった。

 

他の参加者は全員20歳以上で、音大生だったりそれ以上の人だったりで15歳の子どもは自分だけ。

一番指揮が下手な自分にも井上先生はすごく親切にレッスンしてくださって

「本当は君くらいの年齢の子たちに一番来てほしかった」

って声をかけてくださったのがうれしかったなあ。

 

いきなりフルオーケストラでベートーヴェンの序曲「コリオラン」とブラームスの交響曲第2番を振らせてもらって、レッスンも素晴らしくて本当に勉強になった。

講習では、金沢のプロオーケストラであるオーケストラアンサンブル金沢を指揮させていただけて本当にいい経験だった。

 

高2高3と毎年講習会に参加して、高3の時は修了演奏会の指揮にも選んでいただけたんだよね。

本番で緊張しすぎて初っ端を思い切り振り間違えて、オーケストラが入れなかったというミスして後でめっちゃ怒られた。笑

 

15歳の頃、井上道義先生と。

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トリフォニーホール・ジュニア・オーケストラに入団

-オーケストラの経験は?

蒼生

高校1年の頃にトリフォニーホール・ジュニア・オーケストラっていうところのオーディションをヴァイオリンで受けて合格したから、3年間みっちりオーケストラの勉強ができた。

 

このジュニアオケは本当に素晴らしくて、各楽器の講師はみんな新日本フィルハーモニー交響楽団のみなさんで、指揮は松尾葉子さん。

練習はすみだトリフォニーホールでやるし、団員はオーディションで選ばれていてハイレベルだったから素晴らしい経験で、オーケストラを本当に大好きになったよ。

トリフォニーホール・ジュニア・オーケストラには、他にはない特徴があります。
まず、音楽監督・松尾葉子氏をはじめ、新日本フィルハーモニー交響楽団のメンバーなど、プロの音楽家の指導を受け、その音楽性にじかにふれながら、技術力・表現力を養うことができること。次に、音響の優れたすみだトリフォニーホールを主な練習会場とすること。

 

このような最適な環境の中で、子どもたちは仲間とともに演奏する喜びを感じながら、真剣に音楽に向き合っています。この活動は、子どもたちが音楽面においても精神面においても成長していく場であるとともに、地域に豊かな音楽文化が根づくための大きな一歩となるものです。

ジュニオケについて↓

オーケストラについて丨トリフォニーホール・ジュニア・オーケストラ丨すみだトリフォニーホール

水野蒼生が東京音大に進学した理由

-なんで東京音大にしたの?

蒼生

井上先生の講習会に講師でいらしていた東京音大系の先生方に東京音大を勧められて、もうそこに進学するって感じになってた。笑

水野蒼生が東京音大を半年で退学したわけ

-東京音大をやめたのはなぜ?

蒼生

何も隠さずにいうと、教授とけんかしたからだね。

考えが合わなかったし理解ができなかった。10代をここで過ごすのはもったいないと思った。

「20歳まで考えてみたら考えが変わるかもよ?」

と説得されたこともあったけど、

少しでも時間が経てば経つほど、どんどん大胆な動きができなくなるって思った。

 

退学届を出した瞬間にドイツ語学校の申し込みに行った。笑

ザルツブルクの音楽アカデミーへ

-どういった流れでザルツブルクに行くことに?

蒼生

大学やめてすぐ留学しようと思って何かヨーロッパの夏の講習会ないかなって探していたら

ザルツブルクのモーツァルテウムの講習会を教えてもらったんだよね。

 

参加にはビデオ審査があって、

どーすっかなー

ってなってたからとりあえずラノッキオっていうオーケストラを振ったときの映像を送ったら通った笑

ラノッキオ・アンサンブル主宰

-それはどんなオーケストラだったの?

蒼生

ラノッキオ・アンサンブル

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結成は2011年の一月。
当時17歳のトリフォニーホールジュニアオーケストラのメンバー有志での活動だったが、それぞれのメンバーが音大に進学し、その後は首都圏の音大生有志を中心に活動する学生オーケストラとしての活動が定着した。


結成以来10回を越える公演を企画、開催。
室内楽とオーケストラを同時に楽しめる公演や美大生とのコラボレーションなど、音楽の新しい楽しみ方を提案してきた。

 

2011年7月、同オーケストラより木管五重奏が河口湖音楽祭に出演。

 

2013年3月に開いた東北復興チャリティコンサートでは、2012年東京音楽コンクールで優勝及び聴衆賞を受賞したピアニスト、高橋優介をソリストに迎えラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を熱演し、300人を超える聴衆を魅了。

 

2015年夏にはトリフォニーホールで催された新日フィルによる「夏休みコンサート」の前座としてフラッシュモブを披露。

ラノッキオ・アンサンブル オフィシャルサイト

こんな感じ。笑

この時の同い年のピアニストで東京音楽コンクール優勝者の高橋優介と共演したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で審査通ったのはうれしかったなー。

 

当時の演奏。これはシェヘラザードだけど。笑

youtu.be

ちなみにPVもあります。

youtu.be

この作曲の”Blaumann Wasserfeld”っていうのは蒼生水野をドイツ語にしただけ。笑

 

www.tomotrp.com

モーツァルテウムの講習会で出会う仲間達

-講習会はどうだった?

蒼生

とにかくそこでたくさん色んな国の指揮の仲間ができたことと、モーツァルテウムの指揮科の人達と知り合えたのが大きかったかな。

 

※講習会の詳しい内容は別のインタビューに載っているのでこちらをどうぞ

www.andvision.net

講習会の様子。

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水野蒼生ヨーロッパ受験編

第2章って感じになるヨーロッパでの受験について聞いてみようと思います。

-どこを受験したの?

蒼生

ワイマールとザルツブルクの2校だね。

ドイツの最難関 ワイマール音大の指揮科の受験

-ワイマールの指揮科はレベルが高いと聞くけど試験はどんな感じだった?

蒼生

ワイマールの受験は100人ぐらいが世界中から受けにきてすごいハイレベル。

まず一次試験はオーケストラの指揮で、兵士の物語とベートーヴェンの交響曲第1番。

一次は通過。

 

2次はピアノ。

 

バッハ:平均律の1巻のc mollのプレリュードとフーガ

ベートーヴェン:ピアノソナタ第5番全楽章

ブラームス:ラプソディ2番

バルトーク:ルーマニアンダンス全曲

 

っていうほぼピアノ科の試験ってレベルのものを弾いた。笑

 

それが終わったらコレペティという伴奏の試験があって

魔笛の1幕フィナーレを全て弾き歌いするという鬼畜な課題。これはいまだに歌える。笑

その後さらにハイドンの天地創造のフィナーレを全て弾き歌い。

 

それが終わったら次はピアノの初見演奏

それがなんとリヒャルト・シュトラウスの薔薇の騎士w

でもこれがうまくいかなくて不合格だった。

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山は死んでも受験は死なない

-ワイマールの受験からザルツブルクの受験まではどうやって過ごしてたの?

蒼生

親の友人がチューリヒの歌劇場の打楽器奏者で、その人のところにお世話になってた。

その時ワイマールがだめだったことですごい落ち込んでたんだよね。

でもその人は湖とか滝に連れて行ってくれたり、オペラをたくさん見せてくれたりしてた。

それでチューリヒ滞在最後の週末に

 

”アオイ!山にいこう!靴は何を持ってる?”

って聞かれて

スニーカー1足ならあるけど…”

って言ったら2秒くらい考えてから

 

”Okay!!haha”

 

って言われて山登りだーと思って連れて行かされたのが

 

 

ガチのスイスアルプスwww

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※これは実際の写真

こんな幅1mしかなくて横は崖みたいなところスニーカーで、ご丁寧にザルツの受験でやる魔笛のスコアをいれたリュックをしょいながら登ってさ笑

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まじでこんな感じ(これは自分で撮った写真)

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それで命からがら山頂まで登ってきてこの景色を見た時にさ

 

山は死んでも受験は死なない!!!

 

って気が付いて、それまでワイマールのことで落ち込んでたこととかザルツブルクの受験への不安が一気に吹き飛んだんだよね。

 

だって受験落ちても死なないもん笑

 

命がけだったけど本当に登ってよかったしこの景色を見られてよかった。

 

ザルツブルク、モーツァルテウムの指揮科の受験

-無事生還できたから次はザルツブルクにいけたわけね笑 ザルツの受験はどんな感じだった?

蒼生

山登りから10日後にザルツブルクの受験で、指揮科の仲間から

「今回入学できる人数は最大1人らしい。」

って聞いてて受験生は40人くらいいた。

 

1次試験ではまず激ムズの音楽理論と楽曲分析の課題が出され、これの点数の上位50%が2次へ進む。

そして2次はまず少しだけ面接。

ワイマールでも面接があって

「ドイツ語はどうだ?

って聞かれたんだけど2校で全然違った。笑

 

ワイマール

ー「ドイツ語どうだ?」

蒼生「日本でB1まで取ってきました。」

ー「それじゃあ全然不十分だ。入学までにB2までとれるのか?」

蒼生「がんばります。」

ー「うむ。」

 

ザルツ

ー「ドイツ語はどう?」

蒼生「日本でB1まで取ってきました。がんばります。」

ー「Wow!!B1!?まじで!?素晴らしい!!(拍手喝采)」

蒼生「…」

 

って感じ。笑

 

※B1は英検などでいう2級レベルで社会生活での身近な話題について理解し、自分の意思とその理由を簡単に説明できるという感じ。

 

ザルツブルクはインターナショナルで、英語でなんとかなっちゃうっていうところがあるから学生も受験生もちゃんとドイツ語を勉強しないんだよねー。

アカデミーのこともだけどラノッキオがあったから今があるって思うしすべてはつながっているんだなって思う。

 

そして3次試験は2台ピアノを相手にモーツァルトの交響曲を指揮する課題。

 

そして最終の4次審査でコレペティという伴奏課題。

ブラームスのラプソディとまたもや魔笛の一幕フィナーレの吹き歌い。

 

合唱指揮も併願していたからそのまま試験へいって、そっちはただ合唱を1度指揮しただった。

 

それから部屋に呼び出され

 

「両方合格だ!」って握手されて本当に涙が出てきた。

 

結果的に合格者は学部と大学院合わせて2人で、倍率は20倍だった。受かってよかった…。

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水野蒼生の受験記ブログ

水野蒼生の受験生活50日間を毎日綴ったブログがあるのでそちらも読んでみてください。

ameblo.jp

水野蒼生 留学生活編

2/40人という倍率20倍の試験を突破してザルツブルクに留学することに決まった蒼生。こちらでの活動や勉強について聞いていきます。

ヨーロッパは学生と教授が対等

-日本の音大との1番の違いはなんだと思う?

蒼生

良くも悪くもとにかく自由なことかな。カリキュラムの制約もほとんどないし。

 

何より学生と教授が対等っていうことが大きな違いで、私生活だったり生活態度に干渉されることは一切ないし、意見を言うことだって当たり前。

気に入らないアシスタントを変えてくれって学校に抗議するのだって普通だし、先生を変えるのだって普通のこと。

 

学生に自治権があるし、自分の学生生活を良くしようと動く権利があるって感じ。

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ヨーロッパでは若いことのアドバンテージの大きい

-ヨーロッパに早くきてよかったことって何?

蒼生

やっぱり若い=伸びしろがある

っていうところがあるから、いい演奏してさらに若いとかなり注目されるという感じがする。

それにほとんどの外国人は大学をでてから来るから20歳だったというのは目立ったね。

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 ノアの洪水 の指揮のアシスタント

-ザルツブルクでの活動はどんな感じ?

蒼生

学生生活は忙しいけど、1番大きかったのは1年生の時に教授の推薦で、子どものためのオペラ「ノアの洪水」のアシスタントをやらせてもらったことかな。

指揮はザルツブルクの劇場のカペルマイスター(楽長)さんだった。

 

子どものためのプロジェクトで、半分が子どもで半分がプロのオーケストラ。仕事のほとんどは子どものお世話だったけど笑

いつもたくさんの子どもを従えてカフェとかに行ってたから、街でちょっとした有名人になってたw

 

それでその公演はアシスタントだったんだけど、

舞台の構造上、本指揮者とは別に合唱とソロに指揮が必要だったからそちらを振らせてもらってすごくいい経験になった。

 

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オーケストラ指導の仕事

-定期的な仕事とかはあるの?

蒼生

去年の秋ごろからBraunauというザルツブルクから1時間くらいの町のアマチュアオーケストラで毎週金曜日に弦楽の指導をさせてもらってるよ。

日本語に訳すと

ブラウナウ・シンバッハ楽友協会

なんかすごいっしょ笑

 

オーストリアの田舎だから、ドイツ語がとんでもなくひどい訛りで最初は全然わからなかったけど、不思議なことに一年間で聞き取れるようになるもんなんだよなー

 

”ほら!ここの弓順はこうだって言ったでしょ!そこも遅れてるよ!”

 

みたいに毎週ドイツ語で何時間もリハーサルするのは色んな意味ですごくいい勉強になってるし、おじいちゃんおばあちゃん達とすごい仲良しになった。笑

外国人なのにこうやって地域での仕事をさせてもらえて本当に幸せだと思う。

水野蒼生の日本での活動

ライブハウスでのピアノリサイタル ピアノ爆団

-日本での活動は?

蒼生

もちろん拠点はヨーロッパに置いているんだけど、日本でも積極的に活動していきたいから毎年帰って色んな企画をやっててこの前は

東京ピアノ爆団      

っていう企画をした。

 

クラシックは正装してかしこまってシーンとしてて敷居が高いから同世代が聴いてくれない。

だから

・ライブハウスで

・マイク使って爆音で

・ミラーボールとかガンガン回しながら

・酒を飲みながら

・でもやる曲は超クラシック

 

っていうコンセプトでとにかく普段クラシックを聴かない層にも聴いてもらえるようなライブをやった。

その時のことはブログ記事にしてる。

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・人と音楽をより近づける為に
・音楽の楽しみ方を広げる為に
・何より気持ちいい響きの為に

「ライブハウスでのピアノリサイタル」

 

 大爆音で鳴り響く渾身のスクリャービンやドビュッシー、プロコフィエフを、ミラーボールが回る中で100人を越す老若男女のお客さん達と3人のピアニストが共有した。誰もが自然体でお酒を口にしながら音楽と共に揺れていた。

 

輸入されてきた高級趣向の文化っていうのは難しい。本質より先に形式が邪魔をする。

本場と呼ばれる欧州ではお国の文化だから勿論根付いているし、変なプライドも嫌悪感も無い。

日本では敷居の高さや貴族的なイメージが先に来てしまうから、ちょっと興味を持ってる音楽ファンも「何から手をつけていいか分からない」状態になってしまう。

 

それを取っ払わないとこの国に俺の大好きな最高にクールで激エモなクラシック音楽の未来は無ぇ!!!って高校生だった蒼生少年は既に薄々思っていたんだよね。

aoi-muzica.hatenablog.com

このライブは大成功で、この間の2月にやった第2回のライブもすごく喜んでもらえたよ。クラシックの作品のみでDJもした!

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©︎Hirokazu Takahashi

その時の音源はこちら↓

東京ピアノ爆団 ORCHESTRA MIX 2016/AOI by aoim94 | Free Listening on SoundCloud

クラシックをもっと多くの人へ、多くの層へ

-日本でここまで活動しようと思った理由は?

蒼生

まずはクラシック音楽の聴衆の高齢化が大きな問題だと思うんだよね。

”演奏会に足を運ぶのは高齢者ばかりで、次の世代からは来なくなってしまうのではないか?”って何十年も前から言われてるけどいまだにたくさんの人が聴いている。

 

ということは

”クラシックは老後に聴くか~。”

という感じになっているということ。年齢を重ねてきて聴き始める音楽になっている。

そうじゃない。

 

クラシックは若い人にほど聴いてほしい音楽で、歳を取ってから初めて良さを知るのはもったいなさすぎる!!

 

それでさ、ヨーロッパでは子どものためのコンサートやファミリーコンサートとか本当にたくさんの取り組みがされているから

ヨーロッパで外国人の自分が変えることはないと思った。

でも日本にとってクラシック音楽は輸入された文化だからまだまだ変革する余地がある。

 

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東京は世界有数のオーケストラ都市

-日本のクラシック界の変えるべき点は?

蒼生

東京にはプロのオーケストラが9個もあって毎日様々な演奏会がある世界有数の音楽都市なんだよね。これは数で言えばウィーン並み。

でもクラシックの演奏会を聴きに行くのが音楽をやっている人ばかりだったりして、内輪で盛り上がっていることがとても残念。

 

これじゃあ市場が広がっていくわけはない。

もっとクラシックを聴く新しい客層を増やしていかないと未来はない。

 

クラシックの、他の音楽のライブとの差

蒼生

高校時代バンドをやっていていたし、ロック・ジャズ様々なジャンルの音楽の友達がいるから色んなライブに行くんだけど、いつも感じるのは

 

クラシックのコンサートとの盛り上がりの差

 

クラシックは数百年間ずっと演奏され続け、聴かれ続けて生き残ってきたモンスターミュージックなんだから、それが現代の若者にもうけないわけがないと思うんだよね。

 

敷居の高さやイメージで良さを知る機会がないのがすごく残念。

 

本来はサブカルチャーの商業音楽がメジャーの座を奪ってしまった今、クラシックを再びその場に戻したいんだよ。

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©︎Keisuke Mitsumoto

www.tomotrp.com

Orchestra Ensemble Tokyo

-それで立ち上げたのが今回のO.E.Tの企画なんだね。

蒼生

そうだね。ピアノ爆団の活動にもすごく手応えを感じているけどやっぱりオーケストラの魅力を広めたいというのが大きい。

それで、この春にO.E.Tという新しい室内オーケストラを東京で仲間たちと立ち上げたんだ。

 

名前の意味はオーケストラ・アンサンブル・東京っていう名前の頭文字をとったもので、「クラシック音楽の入口を開くカギとなるオーケストラ」として、今後東京を拠点に活動していく予定。


早速この夏の7月20日には結成記念公演"Opening"を、渋谷区文化総合センター大和田 さくらホールにて開催する事にした。

 

プログラムはオール・ベートーヴェン。


演奏する曲全てをベートーヴェンの作品に絞って、さらに同じ大学で勉強する最高のソリスト陣を迎えることにしたんだ。

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このオケはメンバー全員が20代っていうのもひとつの特色だと思ってる。

若いエネルギーって自分で言うのも変だけど、きっとベートーヴェンにはぴったりだと思うんだよね。

僕が前に書いた第九の超訳の記事じゃ無いけど、音楽のスパークが起きるんじゃないかな。

aoi-muzica.hatenablog.com
でもただ「若いオケがコンサートを開きます。」じゃクラシックの入口を開く事にはならないから、今までのクラシック界に無い新しい手法を取ってみた。

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クラウドファンディングでクラシックのコンサートを開く

-新しい手法とは?

蒼生

O.E.Tはクラウドファンディングという形でコンサートの資金を集めることにしたんだ。

クラウドファンディングの良いところは、不特定多数の人に僕らを知ってもらうきっかけを作れる。

それもクラシック界の外の不特定多数の人たちにね。自分らの活動のスタートにはこれがぴったりだと思った。

((クラウドファンディングとは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す))

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まあ正直不安も大きいよ、結構でかい賭けだし。

23歳になりたての若造には無謀な挑戦だって思う人も多いと思う。
ビジネス経験なんてもちろん無いし、知名度も皆無だし、人脈も多いとは言えない。

それでも今の自分にできる事で、1番可能性があると思った。それで今回、O.E.Tの命運をクラウドファンディングに賭けてみようと思ったんだ。

チケットも今はこのクラウドファンディングサイトのリターンとしての販売のみだから、本当に斬新すぎる試みかも知れないけれどやっぱり何かを変える事にはリスクは付き物だからさ、頑張るよ。

 

そしてこのインタビュー記事を見つけてくれたあなたが、こんな長い記事を懲りずにここまで読んでくれているあなたが!

僕らのプロジェクトサイトを覗いてくれて、共感してくれて、パトロンになってくれたら、本当にこんなに嬉しい事は無いです。

 

僕らと一緒にクラシック音楽の入口を開いて欲しいんです。

それでもし「クラシックちょっと聴いてみたくなったな」と思ってもらえたら、本当に気軽に、僕らの公演に遊びに来てください。

ドレスコードなんて無いからTシャツ、ジーンズ、サンダルでも全然大丈夫ですから!笑

www.tomotrp.com

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aoi-muzica.hatenablog.co 

凄腕若手プレイヤーが集結!東京からクラシックをアツくするオーケストラ計画! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

【公演概要】
O.E.T結成記念公演"Opening "
出演者
ゲストヴァイオリン奏者: マキシム・ミシャリュク
チェロ奏者:三井静
指揮者/ピアノ奏者:大井駿
指揮者: 水野蒼生
会場 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール(渋谷駅から徒歩5分)


2017年7月20日木曜日18時30分開場 19時開演


全席自由 一律3000円
主催 O.E.T
お問い合わせ orchestra.ensemble.tokyo@gmail.com
O.E.T公式サイト http://orchestra-ensemble.tokyo/
twitter O.E.T (@o_e_tokyo) on Twitter
Instagram O.E.T (@orchestra.ensemble.tokyo) • Instagram photos and videos

 

追記

O.E.Tオープニングコンサートは大盛況のうちに無事終演いたしました。

7月にはクラウドファンディングが成功、遂にO.E.Tが集まり4日間12時間ほどのリハーサルを終え、当日のホールには一階席ほぼ満席のお客さんと、鳴り響いた僕らのベートーヴェン。
公演は大成功、O.E.Tは最高のオープニングを飾る事が出来た。

簡単に書けばこんなもんだけれど、この半年間の中、どれだけのストーリーがあっただろう。

いずれそれは本にでも書いてやりたいと思っているけれど(笑)

とにかく本当に命掛けの半年間だったんだ。
だからこそ公演が成功した事が本当に嬉しかったし、終演後のオケの皆んなとお客さんの表情を見てその成功が自己満ではないことも分かって涙腺が緩んだ。

O.E.T結成記念公演"Opening" - 蒼い日々の中で


クラシック界で新しいこと

齋藤 

僕たち若い世代がリスクを負いながらも新しいことに挑戦していかない限り、クラシックの客層はずっと今のままだと思います。

 

企業でない僕たちがそれをするには資金が必要です。応援してくださるという方がいらっしゃいましたらぜひパトロンになってあげてください!!

 

僕は今回この演奏会に参加するわけではなく、知り合ったばかりの蒼生からこの話を聴いて応援したくてこの記事を書きました。

学生なので金銭的な援助をすることはできませんがこういうことならできます。

 

パトロンになることはできないという方でも、ぜひSNSなどでの拡散に協力してあげてください。

 

ブロガーのみなさん、もしおもしろいって思う方がいらっしゃいましたぜひ記事で紹介してあげてください。

 

僕はライターというわけではなくただの音大生なのでそこまで素晴らしい文章を書けたわけではありませんが、彼の魅力は充分に伝わったと思います。

(ちなみにここまでに1万字以上w ) 

 

蒼生のドラマチックな人生を読んでおもしろそうなやつだなと思ってくれたあなた!ぜひ応援してあげてくださいね。

 

 

水野蒼生 ドイツ・グラモフォンからCDデビュー

なななんと水野蒼生が、ウィーンフィルやベルリンフィルの世界最大のレーベルであるドイツ・グラモフォンからクラシックDJとしてCDデビューしました!!!

各トラックには蒼生が厳選した音源が組み合わさって一つの曲のようになっています!

”We will classic you"

というタイトルにふさわしく、とても素晴らしい、今までにないミックスになっています!

おすすめ!

 

蒼生のメッセージ。彼はブログもおもしろいのでおすすめです!

aoi-muzica.hatenablog.com

彼は絶対に大物になる!という僕の直感のもとインタビュー書いたりわずかながら応援していましたが、思った通りどんどん大物になっていっていてとてもうれしいです!!

クラシック・留学記事

www.tomotrp.com

www.tomotrp.com

 


 

 

ピアニスト松浦愛美~グレムザー氏との出会い、音楽家のメンタルトレーニング

 

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ピアニスト松浦愛美さんへのインタビュー

松浦さんは僕と同じドイツのヴュルツブルク音大で勉強していらっしゃるピアニストで、ヨーロッパで数々のコンクールで入賞し2019年3月に国家演奏家資格を卒業されて完全帰国されました。

留学にいたった経緯や、コンクールへのメンタルトレーニングなどお話を聞いていきたいと思います。

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大学卒業までは大阪に

■大学に進学されるまでのことを教えてください

 

松浦

育った地域には子どもの頃からピアノを本格的に習っている子が多くて、自分もその流れでピアノを始めて音大に進学しました。

元から大阪をでる気がなかったのと、中学生の頃から習っていた先生が大阪音大で教えていたため、国公立などは受験せず大阪音大一本という感じでした。

 

 

留学するきっかけ 岡原慎也先生との出会い

■大阪愛が強かったんですね。どういった経緯で留学することになったのですか?

 

松浦

大学生の頃はとにかく練習していましたし、短い期間で一気に準備して本番を迎えることが多く、それはそれで達成感はあったものの疑問に感じている部分もありました。

 

3年生からは2人の先生に並行して習うことになり、そこで出会ったのが岡原慎也先生でした。(岡原先生はドイツに留学されていた)

 

最初のレッスンで先生から

 

「お前は音楽の本質を何もわかっていない」

 

と言われて今まで自分が疑問に感じていたことと一気に重なり

もっと深く勉強しなければと思うようになりました。

 

ミュンヘンの講習会に参加

3年生の2月に先生のベルリン芸大時代の同級生であるミュンヘン音大の教授、ミヒャエル・シェーファー先生(Michael Schäfer)のマスタークラスに参加しました。

 

とても感銘は受けたのですが、ドイツには20校近く音大があることを知り、もっといろんな先生と会ってみたいと思いました。

 

Sabaneev: The Complete Works for Piano, Vol. 1 by Michael Schaefer (2015-08-03)

卒業直前に受験へ

そして卒業直前の4年生の2月にドイツの何校か受験に行きましたが、事前にレッスンを受けられたのも一人だけで、何もよくわかっていなかったので大学院には受かりませんでした。

 

■それからもう一度受験にいかれたんですね

 

留学資金の問題もコンクールでまかなう

松浦

親は無理して海外でがんばるなんて必要はないんじゃないかという考えで

もう一度ドイツに受験に行きたいという私の訴えには消極的でした。

 

自分で滞在期間分の生活費や飛行機代を稼ごうと、色んな所で弾く仕事をしていたもののお金はたまらず困っていました。

しかしそんな中で受けたクオリア音楽コンクール(2013)で大賞をいただき、

賞金50万円がいただけたのでドイツに行けることに!

 (2018年現在は残念ながら賞金10万円…)

 

ミュンヘンに住み受験 すべて合格

それからミュンヘンで友達の家を転々としたりしながらいろんな先生のレッスンを受け受験。その時は受験した大学すべて合格しました。

 

国際ピアノ・コンクール―その舞台裏の悲喜劇

ヴュルツブルク音大に決めた理由はベルント・グレムザー教授

■ヴュルツブルクにきた理由はなんですか?

 

松浦

ベルント・グレムザー(Bernd Glemser)教授に習いたかったからです!

ドイツに来る前から彼は演奏家としてとても好きでCDも何枚も持っていましたが、教えているとは知りませんでした。

マスタークラスで出会った友達にグレムザー先生がヴュルツブルクで教授をしていることを聞き連絡をとって月1でレッスンを受けられることに。

 

レッスンが終わるたびに先生に

「あなたのもとでどうしても勉強したいんです!!」

「あなたのCDを子どものころから何度も聞いていて!!」

とガンガン伝えました。

 

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その頃はまだドイツ語もうまく話せなかったので事前に言いたいことを紙に書き起こしておいて、

レッスンが終わって部屋をでていく先生を追いかけながらそれを読み上げるという感じ。笑

 

先生はちょっと引きながらも聞いてくれました。

しかしいつも「とるかどうかは断言できない」と言われていました。

 

ベルント・グレムザー プロフィール

Symphonic Etudes

1962年にドイツのデュルプハイムに生まれ1987年のARDミュンヘン国際コンクールなど多数の国際コンクールに入賞。1989年に当時ドイツ最年少の教授としてザールブリュッケン音楽大学の教授に就任。1996年からはヴュルツブルク音楽大学教授。

 


Rachmaninoff 2nd piano concerto Bernd Glemser

 

グレムザー教授のレッスン ”10%も伝わっていない”

■グレムザー先生のレッスンではどのようなことを言われたのですか?

 

松浦

最初のレッスンで

 

「良く弾けているけど今の演奏では僕には10%も伝わってない。表現しているかもしれないけど全然伝わらない。日本人ぽい演奏」

 

と言われ

”表現ってこんなにしていいんだ、しなきゃいけないんだ”

ということを気づかせてもらえました。

 

先生は身体も細くて手も大きくなく、身体的に有利な人ではなかったのも自分にあっていました。

 

■表現とは?

 

松浦

日本にいたころの自分は小さくまとまっていて、

間違えないようにということにこだわっていたので

”何を聞いてほしいのか”が薄かったんです。

人と同じじゃなければいけないような意識がありました。

 

”自分が完璧に上手に弾きたい”という気持ちをださず

自分をオープンにして、それを聴いてくれている人と共有する

 

ということが大事だと気付きました。

 

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卒業試験後

渡部由記子ブックス1 やる気を引き出す 魔法のピアノレッスン

グレムザー先生がプレイヤーなことで学べたこと

■グレムザー先生はとても積極的に演奏活動をされていますよね。

 

松浦

先生は毎週のようにコンサートをしていたのでいつも聴きに行っていました。

”表現というのがどういうことなのか”

音楽の幅の広さ

言葉で伝えるのが難しい”伝える”ということは先生の演奏を通してたくさん学ぶことができました。

 

 

主張がとにかく強いグレムザー門下

■グレムザー門下の雰囲気はどんな感じなんですか?

 

松浦

クラスにはいろんな国からの留学生がいてとても国際的です。

みんなコンクールにガンガン出ている人たちばかりで、プライドが高くてとにかく主張が強い。

最初はみんなの勢いに負けてしまっていましたが、

クラスにいるうちに自分の意見をもって発言し主張もできるようになっていきました。

私は大阪出身なので主張が強い方と思っていたのですが、全然でした…。

 

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ヴュルツブルクは小さい分勉強に集中できる街

■ヴュルツブルクで勉強してよかったことは何ですか?

 

 松浦

練習環境がとても良いこと、

練習室も生徒が朝から晩まで予約して使える部屋が30部屋に加えて、レッスン室もレッスン時間以外は解放されています

先生の部屋はスタインウェイのグランドピアノが二台!

ドイツの練習室事情 | Pianist 松浦愛美のドイツ留学生活blog♪♪

 

小規模な街のわりに著名な演奏家がよくくること

室内楽の演奏の機会が多いことですね。

 

ヨーロッパのコンクールで多数入賞

■愛美さんは本当に数多くのコンクールで入賞されていますよね。受賞歴を教えてください。

 

ドイツにいたことで多くのコンクールに挑戦できた

松浦

ピアニストはオーケストラのオーディションがあるわけではないので、コンクール歴がとても重要です。

ヨーロッパには大小たくさんのコンクールがあるので日本にいたころよりもずっと多くのチャンスがありました。

 

受賞歴は

2015年 DAADコンクール 第一位(ドイツ)

    Wolfgangfischer Mariafischer-Preis 第一位(室内楽部門を二台ピアノで参加)

2017年 EUTERPE国際コンクール 第一位(イタリア)

     Luigi Zanuccoli国際コンクール 第一位(イタリア)

     Steinway Förderpreis Competition 第一位(ドイツ)

2018年    Jurica Murai国際コンクール ファイナリスト及びバロック作品解釈における審査員特別賞(クロアチア)

 

です。

 

コンクールの詳細はご自身のブログにかいていらっしゃいます!

Jurica Murai 国際@クロアチア | Pianist 松浦愛美のドイツ留学生活blog♪♪

Euterpe国際コンクール | Pianist 松浦愛美のドイツ留学生活blog♪♪

スタィンウェイコンクール 決勝 | Pianist 松浦愛美のドイツ留学生活blog♪♪

初イタリアでコンクール ② | Pianist 松浦愛美のドイツ留学生活blog♪♪ 

 

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大学の受賞者記念コンサート

 

コンクールで重要な演奏者のメンタルトレーニング

■コンクールのような大舞台で力を出し切るメンタルについてお聞きしたいです。

 

あがらないためには自分をよく知ること

松浦

舞台での緊張は誰もがすることですが、そこで実力をだすのに大切なことは

 

・自分を受け入れてよく知ること

・なぜ自分が演奏しているか、したいかを知る

・音楽を人と共有する

・普段の生活からポジティブにいること

 

だと思います。

 

振り返りノートをつける

スポーツ選手のメンタルトレーニングのことを調べていて知ったのですが、本番の度に振り返りのノートをつけるのはおすすめです。

 

・その時の自分の精神状態

・準備の過程

・心境

・起こったこと

・分析

・改善点

などを書き留めて自分のデータをとるというもの。

 

これも自分を深く知るといううえでとても効果的です。

大切なことは、悔やんだりネガティブなことを書き連ねるのではなく冷静に分析したことを書くということです。

 

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ポジティブな意識で準備する

”何が起こっても大丈夫なように、失敗しないように”

という最悪の状況を想定してストイックに練習したり、何か自分の中で様々なルールや縛りを作ると

ネガティブな発想から音楽を作ってしまうことになってしまうことになってしまいます。

ネガティブな発想から作った音楽は独りよがりになりがちで、”伝える、共有する”ということが欠けていると緊張してしまいます。

 

日本人は特に

周りの人が自分をどう思うのかを気にしたり、自分が浮いていないかを気にしてしまう民族性なので、そういった意識が演奏にも出てしまい緊張を増やしていると思います。

 

■本番でうまくいかなくなってしまう人へのアドバイスはありますか?

 

何を伝えたいのかが先行するように

松浦

まずはテクニック的なことができていない、曲の理解ができていない、自分をよくわかっていない

などの不安要素を残したまま舞台に上がらないことです。

しかし気を付けなければいけないのは、不安をつぶそうとするようなネガティブな動機で練習しないこと。

 

聴いた人からどう思われるのかではなく、

何を伝えたいか、共有したいのかという気持ちが先行していくようになると

緊張していても人前で良く演奏できるようになると思います。

 

本番の時だけでなく、普段の練習からそのように考えていけると結果につながっていくと思います。

 

本番の時にコンディションが悪い時に絶望的になるような不安は妄想だと思いましょう。

何を伝えたいのかということを第一に考えて、コンディションのことなどを引きずってはいけません。

 

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自分で企画したコンサートでの成長

自分でコンサートを企画して演奏するとメンタル面にも成長を感じます。

自分の好きな人たちの前で演奏すると自然と何かを伝えたいという気持ちになりますし、

楽しんでいってほしいと思えるので、コンクールやおさらい会などとはまた違う角度から成長できます。

 

ありがたいことに日本に一時帰国中も多くの演奏の機会をもらえていました。

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皇帝☆アマービレフィルハーモニーの皆様と | Pianist 松浦愛美のドイツ留学生活blog♪♪

 

ドイツは音楽家のためのメンタルトレーニングも取り入れられている

■メンタルトレーニングはどのように学んだんですか?

 

松浦

スポーツ分野ではメンタルトレーニングがとても発達しているので、まずはそれ関係の本をたくさん読んだりネットで調べたりしていました。

 

それからドイツではアレキサンダーテクニークを大学の授業で学ぶこともできますし、

音楽家のためのメンタルトレーニングの専門家もいるので、勉強しようと思えばとても機会が多いんです。

 

■その分野に関してはドイツは発達していますね。金管楽器でも「オーディショントレーニング」というセミナーがよく開催されています。

 

 

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大学のオーディションで勝ち取ったコンチェルト!

www.youtube.com

ちなみに僕もオーケストラで吹いています。

 

ピアニスト松浦愛美は2019年3月に完全帰国します

■帰国後の展望を教えてください。

 

松浦
12月に最終試験を満点で終え、無事に卒業と国家演奏家資格を取得予定です。

3月に完全帰国して地元大阪に帰るので、関西を中心に更に精力的に演奏をして行きたいと考えています。


今まではソロが多かったですが

これまで沢山室内楽も勉強してきたので室内楽ももっと演奏会で取り入れていきたいです。(あとはリートも!!)


そしてまだ構想段階ですが、

 

ヴュルツブルクで出会ったメンバーで従来の形を砕いたようなコンサートがしたい

 

と思っています。

みんな腕前は確かなので様々なコンサートの形態に対応できるでしょうし、

お客様には音を楽しむだけではなく演出など様々な角度から楽しんでもらえるようなものを考えたいです!

今いくつかアイディアがあるのですが、まだ内緒で!


あとは指導に力を入れたいと思っています。

とにかく沢山の素晴らしい事をこの5年間で学んだので、それを伝えたくて仕方がないです。

 

普段の練習法はもちろん、

・舞台にあがるための気持ちの作り方物事の考え方

・音楽だけではなく全ての事に繋がるようなこと

も踏まえて指導していくことができたらなと思っています。


というわけで関西でレッスンを受けてみたい方がいらっしゃったらぜひご連絡下さい!

 

ドイツでは

ふらっと家から出て来ただけのような格好でコンサートを楽しんでサクッと仕事に戻ったり、

私のコンサートもどこかで情報を得て全然私を知らないのに聴きに来て下さいます。

 

本当に音楽が生活に浸透して深く根付いているなといつも思います。

なので単に演奏するだけではなく

実際にその国で生活してから気付いた事も含めて伝えていく事が、私たち留学生にとって大切なことなんじゃないかなと思います。

 

日常から感じた事が音楽に繋がっているし、

その日常って私たち留学生にとっては宝物のような時間だと思うので。

 

◾️松浦さん、ありがとうございました。

 

www.youtube.com

 

帰国後の活動

大きなことその①!!

お引越しをしました

とはいえ大阪府の中ですが

 

主な理由は練習環境を整えるためです。


引越したが故に恐ろしく手が回っていない部分が多く、余計に自分をてんやわんやな状況に導いていることも1つ事実ですが、それでもきちんとした練習場所と時間の確保には変えられない。

 

そしてその②!!


先生業も始めました!!!!

 

実家と新しい家の二箇所を行き来しながらレッスンをしています。
ちょこっとこだわりを話すと


ドイツの先生達が導入していた
「弾き合い会」(Klassenstunde または Vorspiel)という制度を私も自分の生徒さんたちにして頂きたいと思っています。


だいたい2〜3ヶ月に一回の頻度で、サロンを借りて生徒さん達の前でお互いに弾き合いをします。

ご参加は自由、また無料です!

 

この制度は私のクラスでもあり、非常に役にたちました。

これなしで舞台にあがるのは正直今でも厳しいと思っています。

それほど、どんな形であれ舞台にあがるたいうことは経験になり、練習より役に立つのです照れ

 
そして実際に7月の末に第一回を開催しました!!!!

 

こちらのサロンはなんと
「SHIGERU KAWAI」のフルコンが贅沢に二台目目

 

生徒さん達には各自弾きたい曲を弾いて頂きました!

 
そして私も初だしの曲を、、、


生徒さん達からは

「勉強になった」

「ぜひまた開催してほしい」

と言って頂き、やり甲斐を感じた瞬間でした。


その③!!

アマービレ楽器の講師として働かせて頂いております!!!

 

自宅のレッスン業と並行して、完全帰国前からコンチェルト等でも共演させて頂いた、アマービレ楽器さんにお世話になっています。


有難い事にさまざまなな年齢層の方々がレッスンに来て下さっており、大変勉強になっています音譜音譜

 

先生としてはまだまだ駆け出しですが、こうして楽器店の皆様、また自宅の方に来てくださる皆様のお陰で、また新たな角度から音楽を見る事ができ、とても勉強になっております。

 

そしてこれと並行して有難いことに沢山の演奏機会も頂いております!!!!

 

本当に嬉しい限りです


忙しさの中で時間を作って練習する大変さ、時間の大切さ、そんな中でコンサートをこなしいてんだなと思うと、改めて思う自分の師匠達への尊敬の念。


実際に体験して
これが自分が夢見ていたことだったのか、、

とひしひしと感じています。

 

Pianist 松浦愛美 留学帰り活動blog

インタビューを終えて

普段あって良く話している友人でも、こうして色んな話を深く聞くと知らないことばかりなのでとても楽しいです。

特に違う楽器の人の場合は、自分ではあまり考えついたことのない発想や考えを知ることができることが多いので勉強になります。

 

松浦愛美さんのSNS

 

twitter.com

t.co

音楽家のインタビュー記事

www.tomotrp.com

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モラレス(E.Morales)の”Infinite Ascent"の一番いい音源

それは僕がヴュルツブルク音大にいたころみんなでレコーディングしてYoutubeにアップしたこの音源です!


Infinte Ascent Erik Morales Trompeten-Ensemble der Hochschule für Musik Würzburg

他の音源はほとんどがライブのものでクオリティも高くありませんが、これは本当にがんばって作ったのでぜひ聞いてみてください。

ほとんどが院生で、みんな今はプロとして活躍しています。

 

エリック・モラレス(Erik Morales)

 エリック・モラレス(1966~)はアメリカの作曲家でトランペットアンサンブルの作品を数多く作曲しています。

トランペットアンサンブルはオリジナルのレパートリーが非常に少ないので、彼の新曲もどんどんレパートリーとして日本でも頻繁に演奏されています。

 

Werner Heckmann教授

ヴュルツブルク音大ではErb教授の他にHeckmann教授がいて、彼が室内楽のレッスンやオーケストラスタディのレッスンをしてくれています。

 Erb教授のこと↓

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ヘックマン教授は、世界的に有名なジャーマンブラスのメンバーで、最近までシュトゥットガルト国立歌劇場の首席奏者をつとめていました。エルプ教授の最初に近い弟子で、先生の吹き方を継承されているなあと感じるとても素晴らしいトランペット奏者です。


Bach BWV 972 after Vivaldi Violin Concerto RV 230

へフスの隣でコルノ・ダ・カッチャを演奏されている方です。

 

そんな室内楽の超プロフェッショナルである先生が、トランペットアンサンブルの録音をしよう!と提案してくださり夏にレコーディングをしました。

 

 

ドイツの大学には録音技師がいて無料で録音してくれる

ヴュルツブルク音大にはTonmeisterという録音技師の職人さんがいて、お願いすれば無料でやってくださいます。国立最高。

個人的なオーディション用の録音でも大ホールで何時間も録音に付き合ってくださるのです。

 

というわけで大学のホールで録音しました。

 

モラレス作曲トランペット8重奏”Infinite Ascent"


Infinte Ascent Erik Morales Trompeten-Ensemble der Hochschule für Musik Würzburg

それがこの録音。

写真はピストンを持っていますがみんなロータリーで演奏していて、サウンドのイメージが普通と大きく違うと思います。

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レコーディングというのは部分部分で何度も録音してきれいなところをつなぎ合わせていくわけなので、ものすごく時間がかかります。

職人さんがOKをだしてくれるまで何度も何度も。

 

7分の曲に5時間はかかりました。とても大変なものなのです!!

この曲は2つのコアに分かれていて、僕はBコアの3rd、7番でした。たまに最低音を吹いていたりします。

 

ヘックマン教授が音源のリンクをモラレス氏本人にメールしたら公式ホームページに参考音源として載せてくれました!

 

 

参考までにこれがインターナショナルトランペットギルドのライブ演奏です。アメリカのプロが中心。


JOSE CHAFER PLAYS INFINITE ASCEND ERIK MORALES ITG 2013

 

 

 

もう一つはデュカスのラ・ペリ。

これは3rdを吹いています。


Fanfare La Péri Paul Dukas Trompeten-Ensemble der Hochschule für Musik Würzburg

大学院生などのすごく上手な人たちはみんなオーケストラに入っていたりして全然学校にいなかったので、一緒に演奏できてうれしかったです。

 

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【留学】トロンボーンでドイツに留学して指揮者になって帰ってきた馬場武蔵さん①【インタビュー】

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8/8 Ensemble Classica Zushiの指揮者、馬場武蔵さんにインタビューしました!逗子出身で湘南ユースオーケストラの先輩です。

 

 

ドイツでたくましく生きていた馬場さんの音楽半生は既にとてもドラマチック。

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トロンボーンをはじめて留学するまでと、指揮者になった経緯を二回に分けてお送りします。

音楽を始めたきっかけ

■音楽を始めたきっかけを教えてください。

 

 

■馬場

幼稚園年長くらいのときに子供のためのグループレッスンに通ったのが最初です。

周りが女の子ばかりだったのですぐやめてしまいましたが(笑)

ほんの少しの間とはいえ、

「鍵盤のどれがドレミファソラシド」とか、

「おかあさんといっしょ」の「ドレミファどーなっつ」が、

「なんで『ソラシド(実音)』なのに『ドレミファ』って歌ってるんだろ。。。?」っていう疑問をもつくらいの音感(照)は、 この時期に自然と身につきました。

 

■嫌な子どもですね!

確かにドレミの歌の”ドー”が実音Cじゃないのに違和感を覚える人とかいるかも。

 

■馬場

それでも「僕は音楽、得意な人かも」というのはなーんとなくあって

小学校のころの委員会活動は「音楽委員」だったり、

授業の合奏で鍵盤をやったらちょっと複雑なパートを担当したりとその程度です。

 

浅野中学校(男子校)に入って、

さあ部活!という時に「そーいえば僕は、音楽得意な子なんだった」と思ったんでしょうね。

 

なんとも自然に吹奏楽部の体験入部に赴き、

特に楽器の希望も言わずに先輩に渡されたユーフォニアムを吹き始め、

それが最初から結構うまくいって先輩から

「こいつすげーぞ!!!」とチヤホヤされ笑

「お、僕これできるぞ!」と思った、という始め方でした(笑)

響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 前編 (宝島社文庫)

■馬場さんはジャズでもベルリンのビックバンドで演奏されていましたよね。

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■馬場

浅野学園吹奏楽部には部員有志でやっているビッグバンド

「Melon Frappè Jazz Orchestra」があり

中学2年になったときにはトロンボーン部員が足りなくなったんですね。

 

それで「やってみようかな」となり、中学2年生からは両方吹いてます。

 

でも長いこと「あくまで軸はユーフォニアムで、トロンボーンはサイドでジャズのため(後々はオーケストラのため)にやっているだけ」という感じでしたね。

 

なんなら今でもユーフォニアムの方が気持ちよく吹けるかも笑

 

■僕がまだ中学一年の頃、高校生の馬場さんが”ヴェニスの謝肉祭”をユーフォで吹いていたのがすごく印象的です。すげー!と思いました。笑

【クラシック】色んな楽器の超絶技巧な曲を貼ってく【ヴィルトゥオーゾ】 - あうすどいちゅらんと

 

 

■馬場

よく覚えてるね(笑)

 

それから、一緒に吹奏楽部を始めた同級生でピアノがすっごく上手い子がいて、

部活の休憩時間のたびに”月光”や”幻想即興曲””木枯らし”なんかを弾いてて

それが僕には随分カッコよく映りました。

 

ピアノのレッスンなんて受けたこともないのにその友達から「木枯らし」の楽譜をコピーさせてもらって

家にある電子ピアノで、グチャグチャの指使いで(中指と親指だけ、みたいなw)コツコツコツコツ練習する

ということをやってました笑

 

そうやって僕は「その友達と仲良かったから」とか、ベートーヴェンとかショパンの音楽に触ってみたかったから」という理由から、ピアノを触り始めました。

とっつきにくい”クラシック音楽”の聴き方をわかりやすく説明していく - あうすどいちゅらんと

 

今も僕は自分にためにピアノを弾くので、基本的には変わってませんね笑

 

そうやって浅野みたいな勉強の忙しい学校にいながら

僕の生活と頭の中身はだんだん音楽一色になってゆき

中学2年生最後くらいには「音楽で生きていこう(どーん)」と思っていました。

最初はユーフォニアム奏者になろうと思っていました。

 

 

湘南ユースオーケストラとの出会い

■僕と馬場さんが出会ったのは湘南ユースオーケストラでしたね。どんなきっかけで入団したんですか?

 

■馬場

中学1年の秋、母がたまたま雑誌の懸賞で当てたオーケストラコンサートを聴きにいったんですね。

それがイェーテボリ交響楽団/ネーメ•ヤルヴィ指揮のマーラー「巨人」でした。

 

それが僕にとっては結構衝撃だったようで「あーゆーこと、やってみたい」と。

 

もうトロンボーンは始めていたんですが、トロンボーンに注目するでなく、とにかく「オーケストラってすごい!!!」と思いました。

 

そんなことで、浅野の先輩が逗子の青少年オーケストラで吹いていることを思い出し、中3の春に学校のトロンボーンを持って見学に行きました。

それが湘南ユースオーケストラです。

 

今でも覚えてます、久木小学校の多目的室、見学にいって吹かせてもらって。

 

「魔弾の射手」序曲の最初の「どーー<<<<<」が鳴りだしたとき、

うおおおおおおお、これはすげえ!と笑

 

■馬場さんが初めて指揮をしたのも確かユースですよね?詳しくお願いします。

 

■馬場

そうです。初めて指揮をしたのも湘南ユースオーケストラでした。

恒例夏合宿の中で「指揮者大会」というものをして

僕は恥ずかしくて「やりたい」と手をあげられなかったんですが、

前澤均先生に

 

「おいおい、ムサシくんはやらなくていいの?」と呼ばれ、

 

「新世界」の1楽章を通しで!

最高の気分でしたね笑

 

「え!僕指揮者になりたい!」と。

 

しかしその夢はすぐに崩れ去ります(後述)。

 

中3で入団してからドイツに行くまでずっと

中学/高校/浪人/大学/第二浪人

全時代を通してずっとかわらずココが一番たのしい音楽の場でした。

また、どんな形であっても僕の人生はどこまでいっても「オーケストラ」という分野と関わっていくだろうと思った理由でもあります。

 

ユースのホームページ↓

shonanyouth.wixsite.com

www.tomotrp.com

 

■馬場さんって高校生くらいの頃オケも吹奏楽もジャズも色々やってましたよね。

 

■馬場

確かに笑 僕はその高校生ぐらいの時期

誰かと一緒に音楽をすることしか考えてなくて(今もかw)

当時自分ができたユーフォ/トロンボーン/ピアノを駆使して

ありとあらゆる場所に顔をだしてましたね。

 

■人と人とをつなぐ馬場って言ってましたもんね笑

 

■馬場

中でも重要なのは

長く団員していまでも良く遊びにいく吹奏楽団ブラスカスミッシモ!

 

そこでの先輩に連れられて別の吹奏楽団にお手伝い演奏いったり

ほかにも叔父が教えているゴスペルクワイヤーでの練習伴奏ピアノ

本番は中に入って一緒に歌ったり。

叔父は音楽事務所を経営してるんですが(Joy Music Planning)

ジョイ ミュージック プランニング:学校公演・芸術鑑賞会・アーティストの斡旋・イベントの事なら!

 

そこに出入りするアーティストの皆様にも随分可愛がっていただきました。

なかでもピアノの故•橋本麻里子さんは僕にジャズの基礎を教えてくれましたねぇ。。。

叔父の家でリハーサルがあるたび

ユーフォとかトロンボーンを持っていっては1曲セッション(レッスンともいう)してもらう、

という感じのお付き合いをさせてもらってました。

 

 

桐朋学園大学へ進学

■音大進学はどのように考えていたのですか?

 

■馬場

最終的には「オーケストラをやりたい」ために音楽大学をトロンボーンで受験することに。

でも僕は東京芸術大学に行けるほどのトロンボーンの実力は(頑張ってみたものの)本当になかったので、桐朋学園大学に行きました。

 

その理由もひとえに

・学生オーケストラの充実

・神谷敏先生(元NHK交響楽団)

でした。

 

結果として僕は大変幸運な学生オーケストラのプロジェクトを いくつも吹かせてもらったのと、

そのあとの人生で重要になる先生/友人にたくさん出会うことができました。

 

総じて桐朋の先生方には

「将来的に、どこにいっても『どうやって勉強/研究を続けていくのか』を自分で見つける力」

を教わった気がしてます。

 

 

アジアユースオーケストラが留学のきっかけに

■ドイツでもよくアジアユースオーケストラの友達と会っていますよね。詳しく教えてください。

 

■馬場

桐朋2年生の3月に受けたオーディションで選ばれて

2010年7-8月のアジアユースオーケストラの演奏旅行に参加したのが決定的な転機になりました。

 

当時「今後トロンボーン続けていって、モノになるのだろうか」と悩んでいた時期だったのですが

ここでの6週間で全部吹っ飛んでしまいましたね。

 

アジアユースオーケストラというのは

1990年から始まった夏のオーケストラ講習会です。

 

アジア各国でオーディションがあり

選ばれたメンバーが7月に香港に集合して

3週間リハーサルキャンプ

3週間コンサートツアー(毎年15-16公演くらい)するというものです。

アジアユースオーケストラ日本事務局のホームページです。

 

指揮者はリチャード•パンチャス(アメリカ)とジェームズ•ジャッド(イギリス人)

各楽器の講師陣もほとんどがアメリカのオケマン

当然リハーサルは全部英語。

 

初めての経験でしたが

「人間、必要にせまられたら、どうにかしてコミュニケーションをとることができるのだ」ということを体得しました(笑)

 

■それで馬場さんは英語も得意なんですね~。ドイツ語の上達も周りと比べてはやく見えました。

 

■馬場

そして団員たちは自分と同世代の音大生/音高生。

彼らと喋っていてよく話になるのは将来の話。

「Baba-sanはどこの国にいくの?オーケストラやるならドイツだよな」

そうなんです。彼らにとっては

「音楽学部を卒業して、大学院はヨーロッパ/アメリカに行く」というのが当然のことだったんです。

 

それで思いました、「あ、そっか、その手があったか!」と。

 

そんな感じで夢をかたりながら

マーラー5番を8回、シュトラウス•プログラムを8回アジア中で演奏して

最終日には泣きながらみんなに再会を誓いました。

帰ってくるころには「絶対オーケストラに入る!(どーん)」というつもりになっており

そのためにはオーケストラ王国ドイツだ、となっていました。

 

※その後2011年(ラフマニノフ2番、チャイコフスキー4番ほか)、2012年(マーラー9番、「幻想交響曲」と「海」)と、合計3年間いました。

 Asian Youth Orchestra 2012 Lowbrass , Mahler 9/Symphonie Fantastique

2012年アジアユースオーケストラ

ハンス・アイスラー・ベルリン音楽大学へ進学

■アジアユースがきっかけとなってドイツ留学ということになったんですね。ベルリン音大に留学した経緯を教えてください。

 

■馬場

トロンボーンでドイツのオーケストラに入る勉強をする、というときにすぐ頭に浮かんだのが

クリストハルト•ゲスリング先生(ベルリンフィルハーモニー管弦楽団首席奏者/ハンスアイスラー音楽大学教授)でした。

 

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オーケストラの中のトロンボーンレパートリーを勉強し始めてる時期にマーラー3番をいっぱい聴いてて

「こういう風に吹きたい!!!」と思ったのがゲスリング先生だったんですね。

 

それでまだ知り合ってない時期に

「習いたいんですが…」と学校のホームページに載っているアドレスにメールを差し上げたら

 

「10 月の末から 11 月頭にベルリンにいるから、そのにきたらレッスンできるよ」

と返事をもらい、それで初めてベルリンにいきました。

 

・ヘンデルのオーボエ協奏曲(ラフォッズ版)

・ダヴィッドの小協奏曲

・オーケストラスタディ

をいくつか聴いてもらい

 

「”モーツァルトのレクイエム”吹ける? じゃー”ローエングリン”は? ”ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら”とかもいける? 」

みたいな感じで

 

ちょっとマーラー3番吹いてみ

っていうことがあったんです。

 

そこで先生がちょっと吹いてくれたお手本で

「これだ!この人にならいたい!!!」と思って(笑)

 

でも先生本人と同時に僕のなかですっごく大きかったのは

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の存在ですね。

到着した翌日にすぐ演奏会にいきました。

 

もう立ち見席まで全部売り切れてたんだけど

フィルハーモニーの前で粘って粘って、「奥さんが体調わるくてこれなくなった」という紳士にチケットを譲って頂き

サー•サイモン•ラトル指揮でマーラー「復活」を聴いて、それはもう立ち上がれなくなるほどの衝撃でした。

 

そういうわけで年明けにハンスアイスラー音大(ベルリン音大)のトロンボーン科入試を受けて合格

すぐドイツ学生生活が始まりました。2011年4月入学です。

■(「受験のムサシの演奏は本当に神がかっていた」とベルリンの人達は言っていました)

 

ベルリンに住み始めてからはもう

徒歩圏内でベルリンフィルが聴けるのが嬉しくて嬉しくて、

練習と学校のほかはひたすらフィルハーモニーに入り浸っていまして

可能な限りの演奏会(とリハーサル/ゲスリング先生が中に入れてくれてた)に通っていました。

住み始めた時期はちょうどマーラーの交響曲チクルスをやっていたころで

同じプログラム3回の演奏会に3回ともいたので、

毎日フィルハーモニーにいる様子をクラスメイトに目撃され

「お前、ひょっとして住む所ないのか?w」

と言われる始末(笑)

 

1)今週ゲスリング先生がベルリンフィルで吹くプログラムのパート譜を練習してレッスンに持っていく(できれば一緒に吹く)。

 

2)ベルリンフィルのリハーサル/演奏会に通って、先生が実際にオケの中でどう吹いているかを研究する。

できれば同じプログラムを2回以上聴いて

ホールの一番後ろ(立ち見席)

ポディウム席(合唱が座るとこ)の両方で聴いて

・実際どう吹いてるか

・遠くではどう聴こえてるか

を観察。

 

3)この指揮者/プログラムが良かったか悪かったか、先生と議論。

 

そんなことばかりをしていました。

学生時代最後のころ、僕がベルリン交響楽団日本ツアー(2014年)に連れていってもらったり

ブランデンブルク州立管弦楽団ユーフォニアムで重要なプログラム

(「惑星」「英雄の生涯」など)を吹かせてもらったりしていた時期には

それらのプログラムをレッスンに持っていく、という感じで「仕事の大大大先輩」みたいな感じでした。

 

馬場武蔵さんホームページ↓

t.co

 

指揮者編へ続く。

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 音楽関連

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【留学】トロンボーンでドイツに留学して指揮者になって帰ってきた馬場武蔵さん②【インタビュー】

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馬場武蔵さんインタビュー② 指揮者編

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馬場さんが指揮者になったきっかけ

■ここでユーフォでプロオケにのるというところがすごいですよね…。それからどういった経緯で指揮者になることにしたんですか?

 

■馬場

僕なりに”オーケストラに入るための努力”をしていたつもりではあったんですが

ベルリン学生始めてからずっと受け続けていたオーディション(研修生やオーケストラアカデミー)ではまったく箸にも棒にも引っかからず

3年生の頭になったころ「今後どうやって生きてこう。。。」と思ってました。

 

そんな時ゲスリング先生とレッスンで話したことが最初のきっかけでした。

 

「そうだなムサシ。たしかにお前は、この世代の中で最高のトロンボーン奏者ではないかもしれない。でもそのかわりお前には音楽的知識と理解力があって、それをそのままにしておくのはもったいないよ。

例えばトロンボーンを続けてオーディション受けるということは人生いつになってもできるから、その横で音楽理論(Tonsatz)を勉強して、将来的に音楽理論の先生として生計をたてるっていうのはどう?」

【留学】ドイツ語の音楽理論・ソルフェージュについての解説 おすすめの参考書【ドイツ語】 - あうすどいちゅらんと

なるほどと思いました。

別にトロンボーンだけじゃなくていいと。

 

楽譜を相手にする作業は好きだし、それなら僕の能力にあってると思い、それはナントナーク頭の片隅においておきました。

「次の学期の音楽理論科入試、受けようかな…。」

 

そしてその学期末、副科ピアノの修了試験がありました。

副科ピアノというものは、先生たちがとってもユルく、やりたいことをなんでもやらせてくれました。

 

ソコソコ真面目に練習する学生だったんでw そのころには結構弾けるようになっており

・バッハ平均律の1巻f-moll,

・シェーンベルク「6つのピアノ小曲」

・ワーグナー/リスト「イゾルデの愛の死」

という、ぼくの好物のみを集めたプログラム笑

 

弾き終わったあと僕の担当教官(気品のあるオバサマ)が

他の先生方にむかって得意げに

「すごいでしょうこの子、ワタシの生徒ヨ!トロンボーン専攻なんだけど、こんど音楽理論も平行して勉強することにシタノ!」

 

そう言うと、審査をしていた別の先生が一人立ち上がりました。すっごく小柄なおばあさん先生で、しわがれごえで僕に聞きました

 

先生「なぜ音楽理論?」

 

ぼく「うん、いままでトロンボーンでオーケストラに入ることばかりを考えてたんだけど、気づいたんです。音楽と一緒に生きていく方法は、それだけじゃないって。やれることはなんでもやろうという気分です。」

 

先生「なるほどね。私、あなたに重要なことを言いますよ(Ich sage Ihnen etwas sehr wichtiges.)。

あなたはたったいま、バッハとシェーンベルクとワーグナーの音楽を深い理解と共感の上で私たちに示してくれました。

あなたはそれを、自分の体を通して人に伝えることのできる人間です。

そしてあなたはトロンボーン吹きとして、オーケストラやアンサンブルで演奏する経験はたくさんお持ちでしょう。

これらのことは『指揮者になる』ということに必要なことではありませんか?」


衝撃でした。なぜ忘れてたんだろうと。

 

そうだ、ぼくは指揮者になりたかったんだ!

 

遡ることちょうど10年

湘南ユースオーケストラの夏合宿で「新世界」を指揮して帰ってきた僕は

自分なりに調べてみたのでした。

「芸大指揮科に入るにはどうすればいいんだ?」

 

-ピアノ:バッハ平均律
-ピアノ:ベートーヴェンソナタ
-ピアノ:ショパンエチュード


あ、なーんだ、僕には無理な世界なのか。

ポイッと諦めました笑


ですが、思いおこせばどんなアンサンブルで吹いていても

僕が大事にしていたのは

”トロンボーンからいい音を出す”というよりも

 

”目の前にしてる音楽を理解する”

”いま置かれてるアンサンブル状況を良くするにはどうすればいいだろう”

 

っていうことばかりでした。

あー、ぼくはその方向で頑張ればいいのか!!!

と思いいたりました。


いまこそ、昔の夢を引っ張り出す時?

指揮、やってみようか…。

でも指揮者、どうすればなれるの…?

 

そして僕は、信頼するマヌエル•ナウリ先生にメールすることになりました。

 

 

マヌエル・ナウリとの出会い

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Manuel Nawri - Ensemble - Deutsche Oper Berlin

■副科ピアノの試験が転機になるなんて意外ですね。マヌエル・ナウリ先生について教えてください。

 

■馬場

彼を初めて見たのは「トロンボーン科の学生と、指揮の先生」として。

 

ベルリン1年生後期、Echo-Ensemble(アイスラーの現代音楽アンサンブル)で

・ウェーベルンの室内管弦楽曲集

・リームの”Gesungene Zeit”

・マティアス•シュパーリンガーの”furioso”

 

をリハーサルしてるときでした。

「ずいぶんいい雰囲気でリハーサルする人だなぁ、学生みんなヤル気なく来るはずの現代音楽なのに…。そして、なんて簡潔でわかりやすい指揮…。」

くらいに思ってました。

 

シュパーリンガーの一回目リハーサルが終わったあとその先生は僕のとこに来て

まだよくわからないドイツ語でこう言いました

「君、プランジャーミュート上手いね。現代音楽好きなの?」

 

僕はタドタドと答えました

「え?えーっと、あー、東京でベリオの『セクエンツァ』やったよ(実際めっちゃ練習した)」

 

先生「まじか!セクエンツァシリーズ、全部が良い曲ってわけじゃないけど、トロンボーンのやつはイイやつだ。うん。トロンボーン以外でどのセクエンツァが好き?」

 

「へ? いやー、フルートのやつとか結構勉強したけど、正直わかんない…」

 

先生「そっかそっか、僕のお気に入りは、なんといっても『歌』のやつだな!」

 

そのやたら若々しくて髪クルクルの先生は、そう言って満面の笑みを浮かべ、颯爽と去って行きました(笑)

 

翌日、そのクルクルは再び僕の席にやってきました。手にはやたら大判のスコア。

「これ、このトロンボーンパート吹ける人がいれば、来年このアンサンブルでやろうと思うんだけど、吹ける???」

 

そこには、おおよそ考えられるだけのプランジャー/フラッタータンギング/グリッサンドが組み合わされた、謎のムリムリ模様が書いてありました笑

 

しかしその時の僕は、非常にアンプロフェッショナルなんですが

「まーバレないようにごまかせば、ええやろ」という気分で軽くオッケーしてしまいました。

謎の模様はArnulf Herrmannの「Terzenseele」

 

しかし1年後いざ演奏する段になって、僕はこの曲のために地獄をみることになりました笑

 

最初のリハーサルの前僕は真剣に準備してなかったので、本当にまったく吹けず。。。

しかもツライのは、それに気づいているのがナウリ先生と、すぐそこにいる作曲者その人「のみ」ということでした。

 

リハーサル終了後、2人とも僕に何を言うわけでもなく「じゃーね」と。

 

「そっか、先生と学生いえど、怒ってくれないんだ」

めちゃめちゃ反省しました。

これは「君がふけるなら、この曲やろう」という信頼に対する完全な裏切りだと。

 

そっからもう、翌日のリハーサルが始まるまでずっとその曲を練習し、なんとか間に合わせました笑

ナウリ先生は「練習したねw」とだけw

その本番が終わったあたりから、いつのまにかduzen(タメ語)で喋るようになってましたね。

 

※Echo-Ensembleでは、リゲティのヴァイオリン協奏曲をサシュコ•ガヴリロフ先生(の、ためにリゲティはコレを書いたのだ!!!)と一緒に演奏させてもらいました。あの夜のことは一生わすれません。。。


というわけで

僕が「指揮をしたい!」と思った時に真っ先に浮かんだのは

マヌエルを訪ねることでした。

初めて「レッスン」を受けたのは2013年10月、僕は当時24歳、大学3年生後期が始まったところでした。

 

 

マヌエル•ナウリのレッスン

マヌエルのレッスンは、ぼくが

「指揮のレッスンとはこういうものだろう」という想像から、

おおよそかけ離れていました。

 

最初のレッスンでは

ドイツで音大指揮科を受ける時に間違いなく必要になる

ウェーバー「魔弾の射手」序曲とストラヴィンスキー「兵士の行進」を

空振り(音なしで指揮)、時に自分やマヌエルが歌いながら、という感じ。

 
(ハタから見ると、僕がただ踊っているだけなので、相当マヌケです笑)

 
そういうなかで「指揮(狭い意味で)」をする基礎を習ってみたんですが

4回くらいレッスンが終わったあとにマヌエルに言われました。

 
「オッケーわかった。指揮(狭い意味で)をするテクニックは

今後の人生でいくらでも身につけることができる。

でもオマエは、誰にでもできるわけではない

『スコアを読んで、内なる耳で聴く』力が、もうすでについてる。

どうかな、かならずしも指揮科にはいらずとも、直接僕のアシスタントをしてみては」


驚きました。

いろんな指揮者のプロフィールに「カラヤンのアシスタント」って書いてあったので、

「指揮者というものは誰かのアシスタントをしながらなっていくものなのだな」

とボンヤリ思っていたものの、そんなことは指揮科の学生、しかも上級生がやるものだと思い込んでいましたからね。

 
もちろん断る理由はありませんでした。

 

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マヌエル・ナウリのアシスタントとして

一番最初の仕事はアイスラーのEcho-Ensembleで、

忘れもしないディーター•マック「室内楽」の歌パート(学生ソプラノ)の下稽古。

 

しかし

・ピアノスコアはない

・コレペティトァもいない。

 

というわけで

「オーケストラスコアからピアノを弾き、歌手をレッスンする」という感じ笑 

目が血走りながらスコアを読み

どうすればこの学生さんが演奏できるか当時もてるアイデアを総動員しました笑


その他、マヌエルが学校でやるリハーサルには全部出席し

アンサンブルプロジェクトではダラピッコラの「piccola musica notturna」でチェレスタを弾いたり

マーラー4番の室内楽版やマティアス•シュガーリンガーの「失われた道」などで、「マヌエルがバランスを聴きたいから(という理由で)」リハーサルを指揮させてもらったり、いろいろしました。


以前アルバン•ベルクの「室内協奏曲」(学生ソリスト)のリハーサルに立ち会っているとき

わりと時間的余裕ができてきたので、ゲネプロ前の最後のリハーサルで通しを指揮させてもらうことに!

それはそれは超勉強したんですが、前日の夜遅くにマヌエルから電話があり


「本当ごめん、コーリャ•ブラッハー(ええ、あの有名なブラッハーです)がリハーサルくるらしいから、俺がやらなきゃ笑」


全部ぱあ。w もうアパートの自室で「あしたのジョー」状態でした笑

 
そして一番大きかったプロジェクトはベルリンドイツオペラのオペラ作曲コンクール

副賞公演「Neue Szenen (2015年4月)」。

 

3人の受賞者が1幕(40分くらい)づつ書いてひとつのストーリーを紡ぐというもので

アイスラーのキャスト/オーケストラ(アンサンブル/演出チーム、指揮マヌエル。

僕の仕事は1ヶ月のピアノ稽古を指揮すること。

 

オペラを一緒に作れる!とウッキウキだったんですが、これが地獄のように大変だった…。

※そもそも全部で2時間のオペラを読むというのが大変な量でして(しかも「現代音楽」ですから笑)

 

何よりリハーサル時間が長い!!!

各幕(全3幕)別のキャスト/コレペティトァ/演出チームがいて、毎日それぞれ3時間ずつやるんですが

僕は唯一その3幕すべてに関わってる人だったので(っていうのを他の人達みんな忘れてた、絶対w)、

賞味毎日9時間リハーサルをしてました笑

 
でも僕はピアノでもなんでも指揮できるのが嬉しかったんで

なんとか持ち堪えてたんですが、僕が担当するリハーサルが終わり

週明けはマヌエルのリハーサルに座ってるだけ…!!という夜

過呼吸になって病院に駆け込み、入院2泊しました笑

 

■あの時は馬場さん死ぬんじゃないかと思いました。笑 僕もお見舞いに行ったなあw


まーマヌエルは他の教授陣と学生に激怒してくれましたw

「世界中もどこに、1人の人間に9時間毎日1ヶ月はたらかすとこがあるんじゃい!!!」とw

 
ちなみにその翌々年のプロダクションは、僕のケースの反省を踏まえてアシスタントが2人に増えましたw


でもココで頑張ったおかげで

その後マヌエルと僕のコンビはその後

・ベルリンドイツオペラ「Sensor (2016年)」

・メルツムジークでのジョン•ケージ「fifty-eight」

・オペララボベルリン「Gunfighter Nation」など

いっぱい色んなことをさせてもらい、3年間くらいの間いーっぱい経験させてもらいました。

 Opera Lab Berlin, Im feld#6 2016

自分で一発アンサンブルを企画するバババンド


指揮はじめまーす、って言い始めたときに

ゲスリング(まだトロンボーン習ってた)に口酸っぱく言われ続けたのは

「自分で、本物のアンサンブルを指揮すること。」

たしかにマヌエルのアシスタントをしながら

「これだけでは、まあ指揮者にはなれないだろうな」と

どこかで自分でリハーサル/本番をしなければ先には行けないと思っていました。


そんなとき本当にタイミングが良かったのは

当時アイスラーで木曜日の午後1時に「Collage Concerts (コラージュ•コンサーツ)」という

いわば「誰が何演奏してもいいよ」というコンサートシリーズが始まったんですね。

コレをどうにか有効活用したい!

 

というわけで、まずリヒャルト•シュトラウスの「13管楽器のセレナーデ」をやってみることにしました。

リハーサル2回と本番。

「やりたいヤツ、いない?」とメールをした結果、すぐ集まってくれました(というぐらいは友達がいましたw)。

 

 

その他に

・ドヴォルザークの管楽セレナーデ

・ジークフリート牧歌

・兵士の物語

・月に憑かれたピエロ

などの「大きめ室内楽」を毎週指揮して。

 
加えて「マヌエル•ナウリのアシスタント(現代音楽できますよ)」という看板のおかげで

作曲科学生が作品演奏を依頼してくれるようになり。。。

 
それが僕の最初の指揮経験としました。

なにしろアイスラーは言ってみればエリート音楽大学なので、そこで吹いて弾いて叩いてくれる友達たちは最高にうまいわけです。

 

「最高のメンバーと初心者指揮者」という、なんともいえないアンサンブル活動でした笑

 
そこでの「プランをたて、リハーサル、本番」という経験が

後にスポンサーを得て「ユンゲフィルハーモニーベルリン(現在休止中)」を再建する原動力になりました。

 

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アンサンブルモデルンアカデミーの試験

 
インターナショナル•アンサンブル•モデルン•アカデミーは

マヌエルが

「手放しでオススメできるプログラム。長期的にココに行くことを目標にするのはわるくない」

と言っていたところで(本人も修了生)、いづれは応募しようと思っていました。

 
書類と映像による予備審査を通ってライブオーディション(アンサンブルモデルンを指揮する)に招待されたのは5人

1ヶ月前に送られてきた招待状には、以下の課題曲が書かれていました。

 
・シェーンベルグ「月に憑かれたピエロ」第15•16•18番(歌なし、アンサンブルのみ)
・15分でリハーサル
・直前課題:前日に送付

 
そしてフランクフルトに到着するのとほぼ同時にメールで送られてきた「直前課題」は

ジェラール•グリゼイ「Vortex Temporum」最初10ページの「通し指揮」でした。

Gérard Grisey - Vortex Temporum (w/ score) (for six instruments) (1995) - YouTube

 

コレはテンポ112で、4/4拍子から14/16拍子(4+3+3+4)、あげく10/16拍子(

3+2+2+3)とかに到達するヤツで「げ」ってなりましたね笑

 
シェーンベルグはある一時期本当に全身全霊をかけて勉強し

何度もやったことがあったのですが

今回リハーサルするのは他でもないアンサンブルモデルン。

おそらく「ピエロ」なんか暗譜で出来る人達なので(笑)

「おそらく技術的な問題はゼロだろう、細かいとこまで行くことができるだろうな」と思いました。

 
まずアタッカになっている15•16番を何も言わず通してみてリハーサル材料を集め

頭からディテール(クレッシェンドの到達点、sforzatoの加減、スタッカートの音色、テヌートの長さetc.)をいじらせてもらいました。

 
それが終わった時点で残り時間4分10秒。

 

歌とのバランスを考えすぎて、悪い意味で小さく小さくなってしまいがちな18番(1分30秒)は

1回通したあとに要点を説明してもう1回、つまり絶対2回通したい!

と思っていたので

「2回通して3分だから、1分喋れるな。。。」

と一瞬だけ考えて実行に移し、終わった瞬間にピッタリ15分!!!

なんとも言えない快感でした笑

 
そしてグリゼイの「部分通し」は、針の穴に糸を通す気持ちでしたが笑

途中ミリ単位でズレながらも、フレーズの切れ目で持ち直したりしてなんとか終了。


(あとで聞いたら、そもそも止まらずに「とりあえず」通せたのが2人だけだったそうでw)

 

オーディションが終わって3週間も首をながーーーーくして待ってて

「合格」のメールをもらったときはもう、一人で叫びましたね笑

 

 

■今後はどんな活動をしていくんですか?

 

■馬場
近々では9月頭にあるオーストリア(インスブルック)のKlangspuren音楽祭に招聘され、アカデミーコンサート2公演を指揮します。


その後は10月にアンサンブルモデルンアカデミーが始まり、
1年間はフランクフルトで過ごすことになりますが、その間も12月に東京TOKASにて予定されている「米田恵子」に出演するために一時帰国いたします。


これまで勉強してきた現代音楽(室内楽)の分野を中心に据えながら、日本もヨーロッパも関係なくどこにでもいきたいと思っています。


■8/3に現代音楽の演奏会をするんですよね?

 

■馬場
8月3日北千住にて坂本光太(チューバ)と共に「行為と音楽」をテーマにしたパフォーマンスをします。
世にも珍しいディーター・シュネーベルの「指揮者のためのソロ曲」と、ルチアーノ・ベリオのトロンボーンのための演劇「セクエンツァⅤ」、踊ったり叫んだり色々します。

www.facebook.com

www.youtube.com

■吹奏楽の指揮もよくされていますよね。

 

■馬場
吹奏楽部の学生の指揮・指導もしていますが、
「吹奏楽(元)愛好家のため: 毎週練習に参加する時間的余裕はないけど、たまには合奏したいという方のための吹奏楽練習会(本番なし)」をしています。

バババンド第一回の様子

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次回は2018年9/23,24で、曲はヴォーン・ウィリアムス「イギリス民謡組曲」とワーグナーの「エルザの大聖堂への行列」をやります。
ご興味ある方、ご連絡お待ちしております。
詳細こちら→

musashibaba.simdif.com


「バババンド」より

 

■バババンドにはいくつかの楽器には講師が入り一緒に演奏します。次回は僕も参加しますのでぜひ一緒に吹きましょう!

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インタビューも逗子!!w

 

馬場武蔵さんフランクフルトの指揮科に入学

馬場さんは1年間のアンサンブルモデルンのアカデミーを終えて、2019年10月からフランクフルト音大の指揮科に入学しさらにドイツで研鑽を積まれるそうです!

”日本で知らない外国人にHelloと挨拶するのが失礼”なんておかしい

ベッカムのすべて ― 伝説を作ったヒーロー [DVD]

知らない外国人に『Hello』をやめましょうby Bobby Judo


知らない外国人に『HELLO』 をやめましょう!

すごい再生数な上に、コメント欄ブログで賛成する意見が多くてびっくりしたので、僕は反対の意見を書いていこうと思います。

 

ボビーさんは

 

知らない外国人をみて、”白人・英語”と決めつけてHelloと挨拶するのは失礼だからなるべく「こんにちは」と挨拶しましょう。

と言っています。

 

いや何それ!?!?

 

そもそもHello=英語

というのもおかしい。笑 

例えばドイツだってドイツ語としてHalloっていいます

単純に世界中の人が知っている挨拶です。

 

そこで日本に住んでいるのか旅行客なのかもわからない外国人に

ハローと声をかけるのはごくごく自然です。

 

ハローが通じない可能性は限りなく0に近いですが

「こんにちは」が通じない可能性は普通にあります。

 

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旅行客ならそもそも勉強してないと知らないでしょうし、知ってたとしても発音が聞き取れるかもわかりません。

 

逆にいきなり「こんにちは」と挨拶したら

 

HAHAHA!ジャパニーズなんてわかるわけないだろ!!

 

と言われる可能性もあると思います(むしろそういわれる気がする)

 

挨拶をする程度のコミニュケーションに、通じないかもしれないという可能性なんて持ちたくないですよね。

 

スペイン人やフランス人が日本でハローといわれて、

「私たちはアメリカ人じゃないわ!!」

と怒る人なんてめったにいないと思います。いたら引くわ…。

 

少なくともドイツ人はHalloっていうし!!w

 

というか日本人は気を遣って自分の国の言葉じゃない共通語でフレンドリーに接しているんだとおもいますけどね。

「日本なんだから日本語しゃべれや!!」って直接外国人にいう人はそうそういませんよね。みんながんばって通じる言葉で接しようとしているのに…。

 

あと別に白人じゃなくても、外国人に挨拶するとしたらたぶんハローって言いますよね。

アラブ系の人でもアフリカ系の人でも。

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”日本人がアメリカでニーハオと言われるのと同じ” じゃない

日本人がアメリカでニーハオと毎日声をかけられたらいやですよね?それと同じです。

とも語っていますが、それもまた全然違う問題でしょう…。

 

まあ前提として

日本人が外国人にハローと言うような感じで、ニーハオと言ってくる欧米人はいないと思います。

 

僕もよくドイツでニーハオと言われますが、なぜ嫌悪感があるかというと

 

明らかにバカにしていってくるから

 

です。

もし普通にまともにニーハオと言われてもなんとも思いません。

僕は中国が嫌いなわけでもないし中国人と思われたくないとも思わないので。

 

でも今まで僕にニーハオと話しかけてきた欧米人は本当に100%バカにしたような口調で笑いながらいってきました。

ついでに「チントンシャン」みたいな中国語を真似したようなわけのわからない言葉で。

 

あと普通のテンションで

アンニョンハセヨーと言われてもなにも思いません。

 

それを全く理解せずに、日本人が気を遣って外国人にハローと言っているのとニーハオが同じと言われるのも心外。

 

まあバカにした口調じゃなかったにしても、ニーハオとハローじゃ全然違いますよね。

ハローは誰でも通じますからね…。

 

 

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海外でよく聞かれる日本のこと 日本の宗教は?日本の食肉の歴史

 

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海外に行くと色んな国の人に聞かれる日本のこと

留学するとその国の人だけではなく様々な国の人と話す機会が出てきます。

そんな時に日本の文化や歴史について質問されることは多くなってきて、それに答えられないと全く学がないやつ的な微妙な空気になってしまいます。

あと単純に自分の国のことをよく知らないというのは恥ずかしい、という気持ちになります。

先日教授とクルージングした時にたくさん聞かれました笑

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日本の食肉文化について

日本人って肉を食べないんでしょ?何食べてんの?米と魚?w

 

と聞かれることはすごく多いです。

「今は洋食も食べるし肉も普通に食べられているよ」

というと

「なんで昔は肉食べなかったの?」

と、大抵そんな流れになります。肉とパンとジャガイモと香辛料が重要なドイツ人にとって何故肉を食べなかったのかというのは素朴な疑問です。

 

・飛鳥時代に仏教をとりいれ、宗教的に殺生を禁じていた、基本的に食べてはいけなかった。

稲作が発達し畜産はそれほど発達しなかった

・脚が多い獣を食べることは卑しいとされていた(魚は0、鳥は2、牛豚は4のように)

・大量に肉を食べるようになったのは19世紀以降

・ベジタリアンの天皇や将軍もいて、法律で国民にも肉食を禁止したこともある

・牛や馬は農業をするうえで大切な存在だったから

 

このように端的に説明すれば理解してもらえると思います。

徳川綱吉の生類憐みの令などの話をしても結構おもしろいと思います。

 

ドイツでは卵も乳製品すらも取らない、Veganというのが流行っているから興味深いかもしれません。

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日本食って寿司以外なにがあるの?

みんなSushi!は好きですし、ヴュルツブルクのような田舎町にも5.6軒の寿司屋があるほど一般的な食べ物になってきています。(本当の田舎から来ている人は、魚自体食べたことないし、生の魚なんて危険なんじゃ…。といった感じ)

 

しかしみんな他の日本食を全く知りません!

 

こういう時言葉で理解してもらうのは難しいのですぐに画像を見せましょう。

天ぷら、親子丼、そば、うどん、ラーメンなど。あとは懐石料理も良いと思います。

 

至福のどんぶりレシピ 10分でいただきます。飲める! 天津飯から火を使わないどんぶりまで、気分で選べる100レシピ (立東舎 料理の本棚)

 

 

 

海外で聞かれる日本の宗教についてのこと

日本の宗教って何?キリスト教徒はどのくらいいるの?

というのもよく聞かれます。

 

”宗教なんてないよww”みたいな態度をとるとかなり微妙な空気になる可能性が高いです。

”え、、、?”みたいななんともいえぬ感じは避けるべきです。

そういう質問をしてくる人は大抵自分が何かしらの宗教を持っているはずなので、少し丁寧な返しをした方がいいと思います。

 

基本的に宗教を持っていると自覚している人は少ないかもしれませんが、初詣に神社に行ったりとかしますし、お葬式はお坊さんがきたり、年上を敬うというような儒教的な考えもあります。

それらが全て混ざって日本の道徳観や常識になっているわけなので、そこを説明すると理解してもらえるとおもいます。

 

神道は自然崇拝という古い宗教で、唯一神ではなく八百万の神々という、自然や全てのものに神が宿るという考えです。日本はそれと仏教が混合されたような宗教でした。

しかしアジア圏の方々は、明治政府が作った「国家神道」を神道だと思っているのでなぜそれが禁止されていないか理解できないと言われる場合があります。

その時は、軍国主義だったころの日本の神道は元々のものとは全く別物で、明治政府がつくって政治利用したのだということを伝えればいいと思います。

ちなみにドイツ語で神道はShintoismus,仏教はBuddhismus,儒教はKonfuzianismusです。

 

日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)

 

なんで日本は災害が多いのに海辺に家を建てたりするの?

津波の来る可能性のある所に家を建てるのがおかしい。ドイツならそこに家を建てることを禁止している。そこに原発を立てるなんてもってのほか

といったことを言われることがあります。

 

日本は地震台風火山噴火津波などドイツでは考えられないほど自然災害の多い国で、”災害が来たらどうしよう”ということを考えたらもはやどこにも住めませんよね。

地震を完全に予知することはできませんし、今自分の住んでいる地域で震度7の地震が来る可能性もあります。

津波の危険を考えて海辺には家を建てないという選択肢もありますが、それが来るかどうかなんてまさに神のみぞ知るところなわけだと思います。

 日本人はある意味、自然災害には逆らえない

というようにそれを受け入れているところがあるんだと思います。

 

それにこのくらい海から離れていれば大丈夫だろうというところに家を建てても、大津波がきて結局飲まれる可能性もありますよね。かといって山奥にいけば土砂崩れがあるかもしれない。

 

その時はどうしょうもない

 

というような感覚がどこかにあるんだと思いますが、あまりドイツ人には理解されないのかも…。

 

まあ原発の話はまた別ですが!!

 

日本って通りに名前がないってまじ?

ドイツの住所は全てどんな小さな小道にも名前がついているのでそれと家の番号を見れば見つけられるシンプルな感じです。

しかし日本は地区と番地と、といった感じで道の名前がないのでどうやって住所を見つけるのか想像がつかないらしい。w

 

Googlemapあるから平気!

とかテキトーなこたえをしています笑

道のつづき

よく聞かれる軽い質問もかいていきます。

日本って果物が超高いって聞いたけどまじ?

これもよく聞かれます、たぶんネットとかで話題になるのか

メロンやマンゴーが40€ときくと日本がとんでもなく物価の高い国だと思うようで。笑

でもドイツの食料品はとても安いので、みんな野菜の値段にも驚きます。

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 あとお酒の高さにも焦ります

ドイツはワインもビンで300円くらいだしビールも500㎖が1ビンで100円しないので!

 

ただ日本には贈答用のとんでもなくおいしい選りすぐりの果物があるというだけで、安い果物も売っていることは教えてあげてください。

 

 

サイゼリヤの安さには驚愕

ただ日本に遊びにいったドイツの友達は、サイゼリヤが安すぎて驚いたと言っていました。ドリア2€w

 

日本は自炊が高くついて、牛丼やうどん、ファミレスがすごく安いというドイツの逆パターンですね。ドイツではこれほどに安く外食できるところはありません

 

ドイツ人を料亭に連れて行って懐石料理をご馳走したら全く口に合わず、ココイチカレーの方を最高だといっていた

みたいなのはよくある話。笑

 

サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ (日経ビジネス人文庫)

 

東京って家賃高いんでしょ?

 ドイツは基本的に日本よりも家賃が安く、ベルリンで一人暮らしをしても光熱費込みの600€くらいです。


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 ドイツでは一般的なシェアハウスも日本ではまだまだ浸透していないので家賃は高くついてしまいますよね。

 

え、こんなに食料品も家賃も高くて学費も超高くて、バイトの時給はそんなに高くなくてみんないったいどうやって暮らしているの…?

といわれます。

とんでもなくお金がかかりますよね東京暮らし…。

でも都市部じゃなければ当然安いわけですし、風呂無しみたいなめちゃくちゃ狭い部屋なら格安の部屋もありますよね。

ヨーロッパでは政治や歴史の話は若い人も関心がある人が多い

ドイツ人は若者でも多くの人が政治に関心を持っているのが日本との大きな違いだなと思います。

普段ビール飲んでうぇーーい!みたいにやってるバカみたいな友達に

”原発問題についてどうおもう?”と真面目な質問をされることも結構あります。

 

歴史や政治、文化について答えられないとがっかりされたり、あとはなんだか情けない気持ちになるので、留学する人は良く日本のことも勉強してから行くことをおすすめします。

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【留学】ドイツの学生寮の家賃 水道光熱費ネット込みで3万円しない【格安】

https://www.instagram.com/p/BdhoUNwhJxK/

 

今まではずっと一人暮らしだったのですが4月から学生寮に入ることができたので1か月住んでみて感じたことなど書いてみたいと思います。

ドイツの学生寮はとにかく安い

もちろん大都市ならまた違いますが、ヴュルツブルクの寮は家賃がとても安いです。

一人暮らしの場合、家賃の相場は大体350~500€くらいですが(光熱費込みネット別)、今の寮はットまで全て込みで192€です。

300€以下の寮がほとんどです。

ドイツの学生寮の部屋の広さ

部屋は12㎡くらいなので6畳一間という感じで、家具は全てついています。

かなり大きめのクローゼットや棚、ベット下も収納があるので快適です。

シャワー・トイレ・キッチンは共同ですが、洗面台は各部屋にあります。

 

 

ドイツの共同の寮に住んで良いこと

週に2回ほど業者の掃除がはいって全てきれいにしてくれるので、そこまで汚れるということはありません。

トイレやシャワーの掃除をしなくてもいいのはとても楽ですし、キッチンは使う度に軽く掃除しておけばいいのも楽です。

僕の階には15人ほど住んでいてみんな仲がよく、たまに集まって料理したりもしています

 

まとめると

・家賃が安い

・家具を買わずに済む

・退去するときに次の人を探す必要がない

・ドイツ語をたくさん話せる

・インターネットの契約をする日必要がない

・コインランドリーに行く必要がない

・キッチンがとてもひろくて豪華でオーブンもある

醤油切らしても中国人の友達に分けてもらえる

辛いもの食べたいときインド人に調味料分けてもらえる

・部屋が狭いから掃除がすごく楽

・収納スペース多い

 ・楽器の練習室や筋トレルームがあるところも多い

こんな感じです。

学生寮に住むと語学の上達にいい

音大は完全にドイツ語のみなのですが、寮には英語しか話さない人も多いので、英会話の練習になります。最初は全く英語がでてこなくて言っているのはわかるけど舌足らずみたいな感じで恥ずかしかったですが、今は前よりはましになりました。笑

今はインド、グルジア、ウクライナ、トルコ、中国、ギリシャ、エチオピアなどこの階だけでも本当にたくさんの国の人がいて、それぞれの国の考えだったり食文化だったりも知れてとても勉強になります。

ドイツ人とも今までより話す機会がぐっと増えました。

ドイツ語を話したい!とモチベーションのある時は誰かいますし、ドイツ語のことで疑問があればいつでも質問できるのはありがたいことです。

 

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共同の寮で大変なこと

僕は苦痛ではないですが、キッチンには大抵誰かいるので、どうしても一人でいたいけど料理作らなきゃいけないという時は微妙かもしれません。

どうしても誰とも会いたくなければどこかで買って帰ればいいですし何とでもなるとは思いますが。

あと家に帰ってまでドイツ語を話したくない!という人にとっては結構疲れるかもしれません。

 

あとはみんな恋人を連れてきて共同スペースでいちゃついたり、同じ階の人同士でつあってキッチンでいちゃいちゃしたりしているので、そういうのが不快な人はやめた方がいいかもしれません。

僕はもうドイツに5年くらい住んでいるので、隣で友達が彼女とキスしまくっててもまっっったく何も思いませんが。笑

でも日本人がやっていたらなんか深いかもしれません。それについては別記事にw

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ドイツの寮は男女共同 

ドイツの寮は基本的に男女混合なので、6人のフロアで女性1人ということもあり得ます。

シャワーもトイレも共同。

トイレで女の子と出くわすのはいまだに慣れないし同じタイミングにならにように気を遣います。出くわしたら気まずい。

シャワーでも僕が個室の中で着替えていたら、誰もいないと勘違いしたカップルが、

「どうする?一緒に入る?」みたいな会話をしていたので

Viel Spass!(楽しんで)と言って立ち去りました。笑

こういうのが不快な人にはしんどいかもしれません。

 

基本的にドイツの男性というのは子どもの頃からそういった意味で耐性があるので、女の子も何も気にしていませんが外国人はちょっとびっくりするかも。

みんなシャワールームにいくときバスタオル一枚巻いて歩いていくし、シャワールームのところに普通に下着ほしたりしてます。笑

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WGの難点

ドイツではWGと言われる、シェアハウスが学生には一般的です。

・WGはあくまでも個人の家ではないので掃除は全て自分たちでやらなければいけない。

・男女混合で少人数だとトラブルが多い

・学生ばかりのWGになぜか40代の変態おじさんが同居。そのおじさんに部屋に勝手に入られたなどの恐ろしいケースもある。(普通はルームメイトによる審査があるので、そのおっさんは恐らく大家に特別多くお金を払って住んでいた)

 

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一人暮らしのいいところ

・広ければ友達を呼んでパーティーしたりできる

・インテリアを自分好みに工夫できる

・家に帰れば完全に一人になれる

・常に清潔を保てる

一人暮らしの難点

僕は以前一人暮らしでしたがそこでの難点は

・当たり前だけど家賃が高い

・水や暖房など使いすぎるとまとめて追加請求が来る。(いきなり100~300くらいいくことも)

・インターネットを自分で契約しなければならない(多くが2年縛りだったり、工事の際に電話したりアポを取ったり語学力が必要。うまくいかないと逆切れされる)

←結局これも送られてこなかった。w

・家具無しの場合、揃えるのにもお金がかかるし引っ越しの時に持っていくのも大変。

・家具無しの部屋で後に入る人を自分で見つけない場合、家具を全て撤去しなければならず、その費用も自持ち(前の人から引き継いだものも全て)

・テレビの受信料も一人で払わなければならない(寮なら階で割り勘)

 

 

ドイツの部屋探し自体がとても難しい

ドイツは日本のように不動産屋に行って部屋を紹介してもらうというシステムがほぼ破綻していて、基本的にみんな個人でインターネットで調べてアポを取るという形になります。

そのため語学ができないと部屋を自力で見つけるのは絶望的です。誰か日本人の部屋を引き継ぐか、学生寮に申し込むしかないと思います。

 

海外留学がキャリアと人生に与えるインパクト:大規模調査による留学の効果測定

人生リセット留学。 (ソノラマ+コミックス)

留学で人生を棒に振る日本人―“英語コンプレックス”が生み出す悲劇 (扶桑社新書)

留学関係の記事はこちら

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【留学】VISAデビットで仕送りの送金手数料を0に【ジャパンネット銀行】

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国際送金手数料はとても高額

最近留学の質問でよくあるのが「送金はどうしていますか?」というもの。

 

仕送りをしてもらう場合、毎月送金してもらわなければいけないわけですが国際送金の手数料は一回¥3000〜¥4000ほどです。

 

年に一回まとまった金額を送金すれば手数料は一回で済むわけですが、1番おすすめの方法は

 

ジャパンネット銀行やソニー銀行などでVISAデビットカードを作ること。

 

 

VISAデビットとは?

そもそもデビットカードというのはクレジットカードとは違い、使った分だけすぐにそのまま口座から引き落とされるカードです。

残高がなければ引き落とされませんが、VISAの使えるところならクレジットカードと同じように使えます。

 

ジャパンネット銀行を留学に使うメリット

ジャパンネット銀行はVISAでキャッシング利用のできる海外のATMでどこでもお金を引きおろせます。

海外ATMの場合、手数料は無料。

引き下ろした時と決済時の少しのレートの差も後で調整されます。数十円が返金されたり引き落とされたり。

 

普通にキャッシュカードでお金をおろす時と同じ要領でそのままユーロをおろすことができます。

 

銀行のATMは大抵VISAのキャッシングが可能なので、

デビットカードでお金をおろし、そのままドイツの銀行のカードで入金する

 

ということができるので、送金の必要がありません。

 

送ってもらうという手間もありませんし、送金手数料もかかりません

ただし、口座に入金する時に手数料が50円かかります。

 

 

普段はVISAカードとして買い物もできますし、言うことなしだと思います。

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ドイツで使えるクレジットカード

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ドイツではダイナースクラブやアメリカンエキスプレスなどは余程の高級ホテルなどでない限り使えません。

 

そもそもクレジットカードがどこでも使える訳ではありません

 

ドイツのキャッシュカードにはデビットの機能がついていて(Maestroというやつ)それしか使えないという場合が多いので注意も必要です。

 

ドイツで使えるのは基本的に

VISAかMaster Cardだけだと思ってください。

 

ということでVISAデビットならどこでも使えるのでとてもおすすめです。

 

 

ジャパンネット銀行は留学以外でもおすすめ

ジャパンネット銀行はどのATMでも、月に1回は出入金が無料で、2回目以降も3万円以上なら手数料無料です。

 

ポイントサイトでの換金などでも使えますし、ブログ収入の振込にも便利です!

 

これだけジャパンネット銀行を推しているのにアフィリエイトがないのは残念ですが笑、よく聞かれるのでここにまとめました!

 

留学関連の記事

1番聞かれるビザの話。最近はどんどん厳しくなっています。 

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ドイツの音楽理論についての情報はネットにはほぼないので用語をかきだしてみました。

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実技試験は日本とは違いリサイタル形式です。

 

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 よく聞かれる家賃のことを地下鉄のマップになぞらえて紹介しています。

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ドイツは基本的には大学も学費が無料です。

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休みばかりですw

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【古楽】ヴュルツブルクの古楽週間のプロジェクト

ヴュルツブルク音大には「古楽科」という歴史的楽器を専門的に勉強できる科があり、専攻生も在籍しています。チェンバロはもちろん、バロックヴァイオリン、ヴィオラダガンバ、リコーダー、バロックトランペットなどを学ぶことができます。

 

僕も1年生の時からバロックトランペットを副科で取っていてHannes Rux教授のレッスンを受けています。先生はバロックトランペットのスペシャリストとして古楽器のみを演奏し生活している数少ない方。

専攻生も3人います。

 

 

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Tage der Altemusik

1/24からTage der Altemusik(古楽の日)というプロジェクトが始まり、様々な演奏会が催されました。

僕は副科ですがトランペットアンサンブルに参加させてもらいました。

 

 

ヴュルツブルク音大の古楽アンサンブルの祭典の開催式での演奏

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市庁舎の中にこのような礼拝堂があり、ここで小編成オーケストラでDe lalande というフランスの作曲家の曲を演奏しました。

YouTube

 僕は最低音パートなので常にドとソだけを吹きました笑(記譜の)

終わってまだ11時なのにワインとパンが振舞われました。せっかくなので飲みましたw

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演奏の様子。

その後市庁舎の前で野外演奏しました。ストリートミュージシャンの気持ちがわかります…

トリオや、先生とデュオを吹かせてもらえていい経験になりました。

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ドイツの子どもためのコンサート

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2日目は大学のホールに小学生を招いた40分ほどのコンサートでした。

司会と演出つきでよく工夫されているなあと思いました。トランペットの出番は2曲だけでしたが、ドイツの子ども達を見ているのはおもしろかったです。

とにかく素直だし元気、日本人の小学生はもう少し控えめな気がしましたがどうだったのでしょう

 

弦楽を聴いている時はすごく退屈そうにしていた子ども達が、トランペットの入った賑やかな曲をやったらはしゃいでアンコールをせがんできたのはかわいかったです笑

トランペットかっこいいー!!って何人も言っててうれしいです

 

こういうことがきっかけでトランペット始めたりしますし。

自分が小学生の頃も学校でオーケストラの演奏を聴いたりするイベントがあったなぁと懐かしくなりました。自分が舞台に立っている側というのはなんとも不思議なものです。それもドイツで笑

 

 

教会での古楽の演奏会

ワインの有名なお店、Bürgerspital には教会もついており、そこで1時間半ほどの演奏会もしました。

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 専攻生達はソロも演奏して、僕はアンサンブルだけでした。

とても響くところで、お客さんも喜んでくれて楽しかったです。

バロック音楽も楽器も非常にシンプルですが、その分自由にできることが多く演奏していて楽しいです。

 

 来年は現代音楽の祭典をするそうです!

 

齋藤友亨

 

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