馬場武蔵さんインタビュー② 指揮者編
馬場さんが指揮者になったきっかけ
■ここでユーフォでプロオケにのるというところがすごいですよね…。それからどういった経緯で指揮者になることにしたんですか?
■馬場
僕なりに”オーケストラに入るための努力”をしていたつもりではあったんですが
ベルリン学生始めてからずっと受け続けていたオーディション(研修生やオーケストラアカデミー)ではまったく箸にも棒にも引っかからず
3年生の頭になったころ「今後どうやって生きてこう。。。」と思ってました。
そんな時ゲスリング先生とレッスンで話したことが最初のきっかけでした。
「そうだなムサシ。たしかにお前は、この世代の中で最高のトロンボーン奏者ではないかもしれない。でもそのかわりお前には音楽的知識と理解力があって、それをそのままにしておくのはもったいないよ。
例えばトロンボーンを続けてオーディション受けるということは人生いつになってもできるから、その横で音楽理論(Tonsatz)を勉強して、将来的に音楽理論の先生として生計をたてるっていうのはどう?」
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なるほどと思いました。
別にトロンボーンだけじゃなくていいと。
楽譜を相手にする作業は好きだし、それなら僕の能力にあってると思い、それはナントナーク頭の片隅においておきました。
「次の学期の音楽理論科入試、受けようかな…。」
そしてその学期末、副科ピアノの修了試験がありました。
副科ピアノというものは、先生たちがとってもユルく、やりたいことをなんでもやらせてくれました。
ソコソコ真面目に練習する学生だったんでw そのころには結構弾けるようになっており
・バッハ平均律の1巻f-moll,
・シェーンベルク「6つのピアノ小曲」
・ワーグナー/リスト「イゾルデの愛の死」
という、ぼくの好物のみを集めたプログラム笑
弾き終わったあと僕の担当教官(気品のあるオバサマ)が
他の先生方にむかって得意げに
「すごいでしょうこの子、ワタシの生徒ヨ!トロンボーン専攻なんだけど、こんど音楽理論も平行して勉強することにシタノ!」
そう言うと、審査をしていた別の先生が一人立ち上がりました。すっごく小柄なおばあさん先生で、しわがれごえで僕に聞きました
先生「なぜ音楽理論?」
ぼく「うん、いままでトロンボーンでオーケストラに入ることばかりを考えてたんだけど、気づいたんです。音楽と一緒に生きていく方法は、それだけじゃないって。やれることはなんでもやろうという気分です。」
先生「なるほどね。私、あなたに重要なことを言いますよ(Ich sage Ihnen etwas sehr wichtiges.)。
あなたはたったいま、バッハとシェーンベルクとワーグナーの音楽を深い理解と共感の上で私たちに示してくれました。
あなたはそれを、自分の体を通して人に伝えることのできる人間です。
そしてあなたはトロンボーン吹きとして、オーケストラやアンサンブルで演奏する経験はたくさんお持ちでしょう。
これらのことは『指揮者になる』ということに必要なことではありませんか?」
衝撃でした。なぜ忘れてたんだろうと。
そうだ、ぼくは指揮者になりたかったんだ!
遡ることちょうど10年
湘南ユースオーケストラの夏合宿で「新世界」を指揮して帰ってきた僕は
自分なりに調べてみたのでした。
「芸大指揮科に入るにはどうすればいいんだ?」
-ピアノ:バッハ平均律
-ピアノ:ベートーヴェンソナタ
-ピアノ:ショパンエチュード
あ、なーんだ、僕には無理な世界なのか。
ポイッと諦めました笑
ですが、思いおこせばどんなアンサンブルで吹いていても
僕が大事にしていたのは
”トロンボーンからいい音を出す”というよりも
”目の前にしてる音楽を理解する”
”いま置かれてるアンサンブル状況を良くするにはどうすればいいだろう”
っていうことばかりでした。
あー、ぼくはその方向で頑張ればいいのか!!!
と思いいたりました。
いまこそ、昔の夢を引っ張り出す時?
指揮、やってみようか…。
でも指揮者、どうすればなれるの…?
そして僕は、信頼するマヌエル•ナウリ先生にメールすることになりました。
マヌエル・ナウリとの出会い
Manuel Nawri - Ensemble - Deutsche Oper Berlin
■副科ピアノの試験が転機になるなんて意外ですね。マヌエル・ナウリ先生について教えてください。
■馬場
彼を初めて見たのは「トロンボーン科の学生と、指揮の先生」として。
ベルリン1年生後期、Echo-Ensemble(アイスラーの現代音楽アンサンブル)で
・ウェーベルンの室内管弦楽曲集
・リームの”Gesungene Zeit”
・マティアス•シュパーリンガーの”furioso”
をリハーサルしてるときでした。
「ずいぶんいい雰囲気でリハーサルする人だなぁ、学生みんなヤル気なく来るはずの現代音楽なのに…。そして、なんて簡潔でわかりやすい指揮…。」
くらいに思ってました。
シュパーリンガーの一回目リハーサルが終わったあとその先生は僕のとこに来て
まだよくわからないドイツ語でこう言いました
「君、プランジャーミュート上手いね。現代音楽好きなの?」
僕はタドタドと答えました
「え?えーっと、あー、東京でベリオの『セクエンツァ』やったよ(実際めっちゃ練習した)」
先生「まじか!セクエンツァシリーズ、全部が良い曲ってわけじゃないけど、トロンボーンのやつはイイやつだ。うん。トロンボーン以外でどのセクエンツァが好き?」
「へ? いやー、フルートのやつとか結構勉強したけど、正直わかんない…」
先生「そっかそっか、僕のお気に入りは、なんといっても『歌』のやつだな!」
そのやたら若々しくて髪クルクルの先生は、そう言って満面の笑みを浮かべ、颯爽と去って行きました(笑)
翌日、そのクルクルは再び僕の席にやってきました。手にはやたら大判のスコア。
「これ、このトロンボーンパート吹ける人がいれば、来年このアンサンブルでやろうと思うんだけど、吹ける???」
そこには、おおよそ考えられるだけのプランジャー/フラッタータンギング/グリッサンドが組み合わされた、謎のムリムリ模様が書いてありました笑
しかしその時の僕は、非常にアンプロフェッショナルなんですが
「まーバレないようにごまかせば、ええやろ」という気分で軽くオッケーしてしまいました。
謎の模様はArnulf Herrmannの「Terzenseele」
しかし1年後いざ演奏する段になって、僕はこの曲のために地獄をみることになりました笑
最初のリハーサルの前僕は真剣に準備してなかったので、本当にまったく吹けず。。。
しかもツライのは、それに気づいているのがナウリ先生と、すぐそこにいる作曲者その人「のみ」ということでした。
リハーサル終了後、2人とも僕に何を言うわけでもなく「じゃーね」と。
「そっか、先生と学生いえど、怒ってくれないんだ」
めちゃめちゃ反省しました。
これは「君がふけるなら、この曲やろう」という信頼に対する完全な裏切りだと。
そっからもう、翌日のリハーサルが始まるまでずっとその曲を練習し、なんとか間に合わせました笑
ナウリ先生は「練習したねw」とだけw
その本番が終わったあたりから、いつのまにかduzen(タメ語)で喋るようになってましたね。
※Echo-Ensembleでは、リゲティのヴァイオリン協奏曲をサシュコ•ガヴリロフ先生(の、ためにリゲティはコレを書いたのだ!!!)と一緒に演奏させてもらいました。あの夜のことは一生わすれません。。。
というわけで
僕が「指揮をしたい!」と思った時に真っ先に浮かんだのは
マヌエルを訪ねることでした。
初めて「レッスン」を受けたのは2013年10月、僕は当時24歳、大学3年生後期が始まったところでした。
マヌエル•ナウリのレッスン
マヌエルのレッスンは、ぼくが
「指揮のレッスンとはこういうものだろう」という想像から、
おおよそかけ離れていました。
最初のレッスンでは
ドイツで音大指揮科を受ける時に間違いなく必要になる
ウェーバー「魔弾の射手」序曲とストラヴィンスキー「兵士の行進」を
空振り(音なしで指揮)、時に自分やマヌエルが歌いながら、という感じ。
(ハタから見ると、僕がただ踊っているだけなので、相当マヌケです笑)
そういうなかで「指揮(狭い意味で)」をする基礎を習ってみたんですが
4回くらいレッスンが終わったあとにマヌエルに言われました。
「オッケーわかった。指揮(狭い意味で)をするテクニックは
今後の人生でいくらでも身につけることができる。
でもオマエは、誰にでもできるわけではない
『スコアを読んで、内なる耳で聴く』力が、もうすでについてる。
どうかな、かならずしも指揮科にはいらずとも、直接僕のアシスタントをしてみては」
驚きました。
いろんな指揮者のプロフィールに「カラヤンのアシスタント」って書いてあったので、
「指揮者というものは誰かのアシスタントをしながらなっていくものなのだな」
とボンヤリ思っていたものの、そんなことは指揮科の学生、しかも上級生がやるものだと思い込んでいましたからね。
もちろん断る理由はありませんでした。
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マヌエル・ナウリのアシスタントとして
一番最初の仕事はアイスラーのEcho-Ensembleで、
忘れもしないディーター•マック「室内楽」の歌パート(学生ソプラノ)の下稽古。
しかし
・ピアノスコアはない
・コレペティトァもいない。
というわけで
「オーケストラスコアからピアノを弾き、歌手をレッスンする」という感じ笑
目が血走りながらスコアを読み
どうすればこの学生さんが演奏できるか当時もてるアイデアを総動員しました笑
その他、マヌエルが学校でやるリハーサルには全部出席し
アンサンブルプロジェクトではダラピッコラの「piccola musica notturna」でチェレスタを弾いたり
マーラー4番の室内楽版やマティアス•シュガーリンガーの「失われた道」などで、「マヌエルがバランスを聴きたいから(という理由で)」リハーサルを指揮させてもらったり、いろいろしました。
以前アルバン•ベルクの「室内協奏曲」(学生ソリスト)のリハーサルに立ち会っているとき
わりと時間的余裕ができてきたので、ゲネプロ前の最後のリハーサルで通しを指揮させてもらうことに!
それはそれは超勉強したんですが、前日の夜遅くにマヌエルから電話があり
「本当ごめん、コーリャ•ブラッハー(ええ、あの有名なブラッハーです)がリハーサルくるらしいから、俺がやらなきゃ笑」
全部ぱあ。w もうアパートの自室で「あしたのジョー」状態でした笑
そして一番大きかったプロジェクトはベルリンドイツオペラのオペラ作曲コンクールの
副賞公演「Neue Szenen (2015年4月)」。
3人の受賞者が1幕(40分くらい)づつ書いてひとつのストーリーを紡ぐというもので
アイスラーのキャスト/オーケストラ(アンサンブル/演出チーム、指揮マヌエル。
僕の仕事は1ヶ月のピアノ稽古を指揮すること。
オペラを一緒に作れる!とウッキウキだったんですが、これが地獄のように大変だった…。
※そもそも全部で2時間のオペラを読むというのが大変な量でして(しかも「現代音楽」ですから笑)
何よりリハーサル時間が長い!!!
各幕(全3幕)別のキャスト/コレペティトァ/演出チームがいて、毎日それぞれ3時間ずつやるんですが
僕は唯一その3幕すべてに関わってる人だったので(っていうのを他の人達みんな忘れてた、絶対w)、
賞味毎日9時間リハーサルをしてました笑
でも僕はピアノでもなんでも指揮できるのが嬉しかったんで
なんとか持ち堪えてたんですが、僕が担当するリハーサルが終わり
週明けはマヌエルのリハーサルに座ってるだけ…!!という夜
過呼吸になって病院に駆け込み、入院2泊しました笑
■あの時は馬場さん死ぬんじゃないかと思いました。笑 僕もお見舞いに行ったなあw
まーマヌエルは他の教授陣と学生に激怒してくれましたw
「世界中もどこに、1人の人間に9時間毎日1ヶ月はたらかすとこがあるんじゃい!!!」とw
ちなみにその翌々年のプロダクションは、僕のケースの反省を踏まえてアシスタントが2人に増えましたw
でもココで頑張ったおかげで
その後マヌエルと僕のコンビはその後
・ベルリンドイツオペラ「Sensor (2016年)」
・メルツムジークでのジョン•ケージ「fifty-eight」
・オペララボベルリン「Gunfighter Nation」など
いっぱい色んなことをさせてもらい、3年間くらいの間いーっぱい経験させてもらいました。
自分で一発アンサンブルを企画するバババンド
指揮はじめまーす、って言い始めたときに
ゲスリング(まだトロンボーン習ってた)に口酸っぱく言われ続けたのは
「自分で、本物のアンサンブルを指揮すること。」
たしかにマヌエルのアシスタントをしながら
「これだけでは、まあ指揮者にはなれないだろうな」と
どこかで自分でリハーサル/本番をしなければ先には行けないと思っていました。
そんなとき本当にタイミングが良かったのは
当時アイスラーで木曜日の午後1時に「Collage Concerts (コラージュ•コンサーツ)」という
いわば「誰が何演奏してもいいよ」というコンサートシリーズが始まったんですね。
コレをどうにか有効活用したい!
というわけで、まずリヒャルト•シュトラウスの「13管楽器のセレナーデ」をやってみることにしました。
リハーサル2回と本番。
「やりたいヤツ、いない?」とメールをした結果、すぐ集まってくれました(というぐらいは友達がいましたw)。
その他に
・ドヴォルザークの管楽セレナーデ
・ジークフリート牧歌
・兵士の物語
・月に憑かれたピエロ
などの「大きめ室内楽」を毎週指揮して。
加えて「マヌエル•ナウリのアシスタント(現代音楽できますよ)」という看板のおかげで
作曲科学生が作品演奏を依頼してくれるようになり。。。
それが僕の最初の指揮経験としました。
なにしろアイスラーは言ってみればエリート音楽大学なので、そこで吹いて弾いて叩いてくれる友達たちは最高にうまいわけです。
「最高のメンバーと初心者指揮者」という、なんともいえないアンサンブル活動でした笑
そこでの「プランをたて、リハーサル、本番」という経験が
後にスポンサーを得て「ユンゲフィルハーモニーベルリン(現在休止中)」を再建する原動力になりました。
アンサンブルモデルンアカデミーの試験
インターナショナル•アンサンブル•モデルン•アカデミーは
マヌエルが
「手放しでオススメできるプログラム。長期的にココに行くことを目標にするのはわるくない」
と言っていたところで(本人も修了生)、いづれは応募しようと思っていました。
書類と映像による予備審査を通ってライブオーディション(アンサンブルモデルンを指揮する)に招待されたのは5人。
1ヶ月前に送られてきた招待状には、以下の課題曲が書かれていました。
・シェーンベルグ「月に憑かれたピエロ」第15•16•18番(歌なし、アンサンブルのみ)
・15分でリハーサル
・直前課題:前日に送付
そしてフランクフルトに到着するのとほぼ同時にメールで送られてきた「直前課題」は
ジェラール•グリゼイ「Vortex Temporum」最初10ページの「通し指揮」でした。
Gérard Grisey - Vortex Temporum (w/ score) (for six instruments) (1995) - YouTube
コレはテンポ112で、4/4拍子から14/16拍子(4+3+3+4)、あげく10/16拍子(
3+2+2+3)とかに到達するヤツで「げ」ってなりましたね笑
シェーンベルグはある一時期本当に全身全霊をかけて勉強し
何度もやったことがあったのですが
今回リハーサルするのは他でもないアンサンブルモデルン。
おそらく「ピエロ」なんか暗譜で出来る人達なので(笑)
「おそらく技術的な問題はゼロだろう、細かいとこまで行くことができるだろうな」と思いました。
まずアタッカになっている15•16番を何も言わず通してみてリハーサル材料を集め
頭からディテール(クレッシェンドの到達点、sforzatoの加減、スタッカートの音色、テヌートの長さetc.)をいじらせてもらいました。
それが終わった時点で残り時間4分10秒。
歌とのバランスを考えすぎて、悪い意味で小さく小さくなってしまいがちな18番(1分30秒)は
1回通したあとに要点を説明してもう1回、つまり絶対2回通したい!
と思っていたので
「2回通して3分だから、1分喋れるな。。。」
と一瞬だけ考えて実行に移し、終わった瞬間にピッタリ15分!!!
なんとも言えない快感でした笑
そしてグリゼイの「部分通し」は、針の穴に糸を通す気持ちでしたが笑
途中ミリ単位でズレながらも、フレーズの切れ目で持ち直したりしてなんとか終了。
(あとで聞いたら、そもそも止まらずに「とりあえず」通せたのが2人だけだったそうでw)
オーディションが終わって3週間も首をながーーーーくして待ってて
「合格」のメールをもらったときはもう、一人で叫びましたね笑
■今後はどんな活動をしていくんですか?
■馬場
近々では9月頭にあるオーストリア(インスブルック)のKlangspuren音楽祭に招聘され、アカデミーコンサート2公演を指揮します。
その後は10月にアンサンブルモデルンアカデミーが始まり、
1年間はフランクフルトで過ごすことになりますが、その間も12月に東京TOKASにて予定されている「米田恵子」に出演するために一時帰国いたします。
これまで勉強してきた現代音楽(室内楽)の分野を中心に据えながら、日本もヨーロッパも関係なくどこにでもいきたいと思っています。
■8/3に現代音楽の演奏会をするんですよね?
■馬場
8月3日北千住にて坂本光太(チューバ)と共に「行為と音楽」をテーマにしたパフォーマンスをします。
世にも珍しいディーター・シュネーベルの「指揮者のためのソロ曲」と、ルチアーノ・ベリオのトロンボーンのための演劇「セクエンツァⅤ」、踊ったり叫んだり色々します。
■吹奏楽の指揮もよくされていますよね。
■馬場
吹奏楽部の学生の指揮・指導もしていますが、
「吹奏楽(元)愛好家のため: 毎週練習に参加する時間的余裕はないけど、たまには合奏したいという方のための吹奏楽練習会(本番なし)」をしています。
バババンド第一回の様子
次回は2018年9/23,24で、曲はヴォーン・ウィリアムス「イギリス民謡組曲」とワーグナーの「エルザの大聖堂への行列」をやります。
ご興味ある方、ご連絡お待ちしております。
詳細こちら→
「バババンド」より
アンサンブル ・モデルン ・アカデミー、受かってしまいました。。。奨学金を得て10月より、1年間フランクフルトで修士号(現代音楽・指揮)とります!
— 馬場武蔵・Musashi Baba (@musashi_baba) 2018年4月25日
■バババンドにはいくつかの楽器には講師が入り一緒に演奏します。次回は僕も参加しますのでぜひ一緒に吹きましょう!
インタビューも逗子!!w
馬場武蔵さんフランクフルトの指揮科に入学
馬場さんは1年間のアンサンブルモデルンのアカデミーを終えて、2019年10月からフランクフルト音大の指揮科に入学しさらにドイツで研鑽を積まれるそうです!