しべりあげきじょう

ロシア国立ブリヤート歌劇場首席トランペット奏者  齋藤友亨のブログ (旧あうすどいちゅらんと)

しべりあげきじょう

トランペットの歴史 起源は古代に遡る トランペットの成り立ちを徹底解説

 

トランペットといえば

吹奏楽では花形

オーケストラではここぞという盛り上がるところで登場

ビッグバンドでもリーダー

ジャズコンボでも主役

金管バンドでもコンサートマスター

 

どんな音楽やる時でも一番目立つしかっこいい楽器です。

 

幅広いジャンルの音楽をできるこの楽器も長い歴史の中で今のようなスタイルが生まれ、たくさんの種類ができていったのです。そんなわけでトランペットの歴史をがっつり説明していこうと思います。

 

目次

 

トランペットの歴史

トランペットの原型はブブゼラ

 

トランペットの歴史を説明するうえで分かりやすいのはブブゼラ。

以前ワールドカップの時に話題になったこの楽器。

筒に唇を当ててブーってやることで大きい音を出す、像の鳴き声みたいなアレです。

 

これはトランペットの原型であり、トランペット奏者なら普通に美しい音が出ます。

 

Youtubeで探したらドイツ人がブブゼラでボレロ吹いてるのがありましたw

このような楽器はアフリカだけでなく世界各地にありました。

日本では法螺貝

 

なんとお上手…

こういったトランペットの原型は新石器時代の頃からあったといわれています。

 

 

金属のトランペットはピラミットからも出土されている

金属のトランペットが最初にできたのはエジプト王朝時代と言われており

ピラミッドからは青銅製などのトランペットが出土されています。

 

※起源は諸説あります 

 

この頃もただの筒。ブブゼラが金属になっただけみたいなものです。

それでも奏者が吹けばいい音がするんですね。

 

ルネサンスにツィンク(Zink)Cornettoが登場

ルネサンス音楽が盛んになってきた頃にツィンク(コルネットー)という楽器が多く演奏されていました。

 ツィンクはトランペットの歴史を語る上でとても重要な楽器。

 

これは簡単に言うとリコーダーにとても小さなトランペットのマウスピースのようなものをつけ、唇の振動で音を出す木管楽器です。

 

木管のような金管のようななんともあたたかい音がして、17世紀まではメロディー楽器として使われていました。

当時の絵には、唇の端に当てて吹いているものもあります。あまりにもマウスピースが小さいので唇の真ん中では分厚すぎたからなどの理由だったそうな。 

 

しかし

・オーケストラの規模の拡大や求められる音量も大きくなっていったこと(大音量の出る楽器ではない)

木管楽器の発達

・あまりにも演奏が困難である

などの理由からオーケストラからは次第に姿を消してしまいました。

 

現代ではBruce Dickeyがこの楽器の再興に尽力しました。

本当に素晴らしい音色

 

ちなみにはドイツとスイスではツィンクを音大で専門に学ぶことができます。

Dickeyの功績により数々の素晴らしいツィンク奏者が輩出されました。

Leipzig,Trossingen,Bremen,Baselで勉強できます。

 

 

彼はスイスのバーゼルで教授をしています。

オーケストラの中にはこんな感じ。

 

ナチュラルトランペットとは

そして1400年頃になり現在のトランペットの倍の長さの今ではバロックトランペットと呼ばれているものが出現し始めます。

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 このような楽器

バルブやキーなどは何もついていないので半音階は吹けません。

 

しかし自然倍音(説明は割愛)は高音域に集中しているので、高音域ならメロディーを吹くことができます。

 

ただこれは何も音を補正する機能がないので、演奏は非常に難しいです。

自然倍音ででる音程は、普通の音よりもすごく高かったり低かったりするので演奏者が即座に調整しなければなりません。

これはとんでもなく難しい技術です。

 

管にリコーダーのような孔を開けると音程がかなり調整できるので、現代では(特にドイツでは)孔ありのものが演奏されているんですが、J.マドゥーフという方が孔無しで本当に素晴らしく演奏されます。

彼のレッスンを受けに行った時のこと↓

 

www.tomotrp.com

 

 

ナチュラル・バロックトランペットはドイツの音大で専門に勉強できる

僕はドイツのヴュルツブルク音大でモダンのトランペットを勉強しながら、副科でバロックトランペットも習っていました。主専攻の生徒もいました。

 興味のある方はコンタクトをとってレッスンを受けてみたらいいと思います。

www.tomotrp.com

 穴無しを専門で勉強できるのは基本的にバーゼルだけですかね。

 

 

トランペットは貴族の楽器だった

トランペットは演奏が非常に困難であり、技術は才能ある者が選ばれ一子相伝というくらいに封建的な中で伝承されていたと言われています。(クラリーノ奏法)

 

この楽器を演奏することが許可されるのは貴族のみで一般人は触れることもできなかったのだとか。

トランペット奏者には特別な地位が与えられ、その他の楽器奏者の何倍の給料をもらっい、その音色から宗教的な音楽にも使われたり王の御前でも演奏されました。

天使はみんなトランペットを持っています。

 

王宮ではこのようなファンファーレ

王の御前には必ずトランペット

 

トランペット奏者の人数が権威の象徴 

限られた人しか演奏することのできなかったトランペット奏者は、特権階級だったので何人も雇えるのはかなり有力な貴族だけでした。

そうなることで

トランペット奏者を何人持っているか=権力の大きさ

となっていったと言われています。

特に中央集権だったフランスではパリに多くのトランペット奏者が集結したのだそうです。

 

そして絶対王政が最盛期だったフランスではとんでもないことに

ミスったトランペット奏者が死刑になった

ということもあったそうです。

まさに命がけの演奏…。

 

トランペットの黄金時代バロックへ

バロック期はトランペットの黄金時代と呼ばれており、

たくさんの作曲家がトランペットのために曲を書きました。

 

特にバッハは自身の曲の中にトランペットを多用していています。

カンタータやオラトリウムなど宗教的な曲には必ずトランペットに大事なパートを書いています。

 

ブランデンブルク協奏曲など。とんでもないですほんとに…

 彼はFriedemann Immerというバロックトランペットのパイオニアで、口笛のように吹いてしまいます。僕の先生の先生。

 

 

ドイツの音楽家の歴史について↓

www.tomotrp.com

ブランデンブルク協奏曲第二番1オクターブ下説

田宮堅二氏による学説。High Fまででてきてとにかく高音域なことが有名なブランデンブルク協奏曲第二番ですが、実は一オクターブ下だった説も有力です。

 

・当時は高音域担当がClarino、低音域担当がTrombaと呼ばれており、この曲には”Tromba in F"と書いてあるため、記譜のin Fはホルンのように5度下に読むのが自然である。

・現在の一般的な高音域で演奏される場合、連続8度や5度が頻発する(和声的なミス)これをバッハが間違えるとは考え難く、一オクターブ下で演奏した場合この禁則は発生しない。

 

 

バロック以降トランペットソロはなくなる

残念なことに、音楽のスタイルの変化やヴィルトゥオーゾ(技巧的な)の台頭によって

トランペットはすっかりソロの楽器の立場を失ってしまいました。

 

今までソロ1本+2本(打楽器と同じ動き)という編成だったトランペットは、ソロパートがなくなった2本が打楽器的な音型を演奏するという形に落ち着きました。

それで古典の時代は2本でティンパニと同じ動きなんですね。

 

ソロの曲も書かれなくなってしまいました。

 

モーツァルトやベートーヴェンはホルンのための曲は書いていますがトランペットへは書いていません。

 (モーツァルトはトランペット協奏曲を書いたが楽譜が紛失したという説もあります)

 

キー・トランペットの発明 ハイドン

18世紀末にトランペットの歴史を大きく変える大発明がされます。

 

1796年、ハイドンがトランペット協奏曲を作曲しますが、これは先ほどのナチュラルトランペットのためにではありません。

 

アントン・ヴァイディンガーというトランペット奏者がキー・トランペットという楽器を発明し、ハイドンにこのトランペットのための作曲を依頼しました。

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これはナチュラルトランペットに木管楽器のようなキーを付けたもので

これによってついに半音階の演奏が可能になったのです!

今までドミソとしか吹けなかった音域で

ドレミ(in Es)と始まったのは当時のトランペット吹き達には衝撃だったことでしょう。

 

キートランペットでの演奏

 

これに触発され、フンメルという作曲家も協奏曲を作曲します。

 

 

せっかくできたキートランペットでしたが、この後すぐにバルブシステムの楽器が主流になり数十年で姿を消してしまいました。

このCDは全てキー・トランペットで録音されています。ラインホルトフリードリヒ。

キートランペットが姿を消した理由

キートランペットは穴を開閉させることで無理やり音を変えるので、自然倍音でない音は「うにゅー」みたいな音になります。

ハイドンやフンメルの協奏曲もバックのオーケストラはナチュラルトランペットなので、とても豊かな音が鳴っていたわけなのでその対比もよくなかったのかもしれません。

音質を著しく損なうこと

演奏の難しさ

倍音外の音量のでなさ

などからあまり実用的ではなくすぐに姿を消しました。

僕も一度吹いたことがありますが、うにゅーっとなるうえに指の操作もものすごく難しかったです。

しかしこの楽器の発明によってとても重要な2つの協奏曲が作曲されたのでとてもありがたいことです。ありがとうヴァイディンガー

 

バルブの発明によりトランペットが大きく進化

1814年にハインリッヒ・シュテルツェル(Heinrich Stölzel)によってバルブシステムが発明され、金管楽器に様々な試みがされました。これもトランペットの歴史上の大事件。

 

アドルフサックスもサクソルン族と呼ばれるたくさんの金管楽器群の開発に尽力しました。

これはすぐにトランペットにも!!

といきたいところでしたが

トランペットは封建的な性質を持ったままだったのでそう簡単にはいかず

まずコルネットにつけられました。

コルネットはトランペットとは違い、そのような制約はありませんでした。

コルネットでバルブの有用性が認められ、次第にトランペットにもつけられていきました。

そしてようやく今のトランペットのスタイルになっていくわけです。

コルネットの黄金時代 アーバン

コルネットの発展もトランペットの歴史に大きく関わっています。

コルネットはどんなテクニカルなことも可能にする楽器だったので

どんどんコルネットのための曲が書かれていき

スタープレイヤーもうまれ

パリの音大にはコルネット科が創設されました。

 

そのスタープレイヤーこそがトランペット吹きなら誰もが知っている

アーバン。

彼は世界中で今でも誰もが使っている聖書ともいえる教則本を書いた最も重要な人物。

 僕もいまでも練習しています。

そして多くの作曲家がコルネットの曲を書くようになります。

ヴェニスの謝肉祭や

ナポリの主題による変奏曲。

 

トランペットに比べ柔らかい音色

コルネットは本当にOle Edvard Antonsenが素晴らしいので”The Golden Ege of Cornet"というCDがおすすめ!

 

トランペットにもピストンがつく

ピストンの有用性をコルネットが証明し

ついにトランペットにもピストンがつけられ始めます。

 

それでも

ナチュラルトランペットの音がトランペットだ!という考えはしばらくの間存在し

1880年代にはもうとっくにピストントランペットができていましたが

ブラームスなどはナチュラルトランペットの時代と同じ役割のものを書きました。

ブラームスや、ビゼーの交響曲1番などもドミソしか出てきません。 

 

これでトランペットは様々な種類ができていったわけですね 

しばらくはトランペットとコルネットが混在

ロマン派時代はオーケストラの中で、バルブのトランペットとコルネットは分けて書かれていました。

 

その当時のトランペットは今のトランペットとナチュラルトランペットのちょうど間位の長いF管でした。(だからIn Fで書かれている)

 これがF管のピストンでクルトワの複製をエッガーが作ったもの。販売中。

 

 

そしてそれより管の短いA管コルネットも2人という感じ。

例でいうとベルリオーズの幻想交響曲があります。

 

トランペットにシグナル的要素が多く、コルネットは技巧的なパートといったように違った役割が与えられています。

 

このオーケストラはナチュラルトランペットとコルネットで演奏しています。

Orchestra Revoltionele Romantiqueというエリオット・ガーディナーのオーケストラで、全て当時の楽器・スタイルで演奏します。とても素晴らしい。

 このオーケストラが気になる方はこちらをご覧ください。

www.tomotrp.com


 

長いF管で吹いていたわけなので、上のBやAsなどは結構きつい感じの音になります。

交響曲第四番でチャイコフスキーがイメージしていたAsの音は華やかなものではなく、少しビーっと詰まったような音だったのかも??

とはいえB管で吹くのは嫌です。

 

ロマン派のトランペットソロ曲

ロマンに区分される1899年、トランペット奏者であったオスカー・ベーメがトランペット協奏曲を作曲。

ロマン派唯一のトランペット協奏曲。

Francisco Pacho Flores en concierto Concierto - YouTube

他にもVssily  Brandtなどもロマン派と分類されます。


Timofei Dokshizer Brandt Concert Piece

 ブラントとベーメはロシアに行ったドイツ人

ブラントのコンサートピースの1番2番とベーメの協奏曲はコンクールなどでも必ずと言っていいほど課題になる、トランペットにとって最も重要なレパートリーです。

音楽のスタイルはとてもロシアンなのですが

彼らは2人ともドイツ人です。

この時代はロシア帝国の力がとても強く裕福でしたが、ドイツはまだ連邦にはなっていなく小さな国々の集合体でした。

芸術が大きな盛り上がりを見せていたロシアでは

外国から優秀な音楽家をロシアに連れてこよう

という動きが盛んだったらしく、ドイツからも多くの音楽家がロシアへ渡りました。

 

ワシリー・ブラント

ブラントはコーブルクというドイツの街に生まれ、音大を出た後ドイツのオーケストラで働いた後にボリショイ劇場のトランペット奏者になりました。

それからモスクワ音楽院の教授になり、ロシアのトランペット界の発展に貢献。

 

オスカー・ベーメ

ドレスデン近郊の村で生まれ、ライプツィヒ音大を卒業後にブダペストのオーケストラで働いた後にサンクトペテルブルクのマリンスキー劇場のコルネット奏者を務めました。

しかしスターリン体制になると反外国人派の謀略によってオレンブルクに追放されてしまいその後の消息は不明です。強制労働に従事していたという説もあります…。

 

20世紀のフランスでトランペットのソロが再興

20世紀に入るとフランスのパリ国立高等音楽院のトランペット科の試験のためにいっきに大量のソロ曲が作曲されました。

それらはとても重要なレパートリーです。

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ボザはほかの金管のためにもたくさんの曲を書いています。

 

 

教本も書いているシャルリエ

 

今でも試験でよく演奏します。

 

ロシアでもたくさんのトランペットのソロ曲がつくられる

情熱的に歌うことのできるようになったトランペットはロシアの作曲家たちにもこのまれ、20世紀の巨匠Timofei Dokshizerのためにもたくさんの曲が書かれました。

 

Peskin トランペット協奏曲

 

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Giuliano Sommerhalder - Peskin Trumpet Concerto

Nesterov トランペット協奏曲

 

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Dokshizer Nesterov

 

 

トランペットの最も重要な作品群

そして1930年代にはヒンデミットとピルスという作曲家がとても重要なソナタを作曲。

ヒンデミット

そして偶然にも高田信一という日本の作曲家もほぼ同時期に初のトランペットのソロ曲を書いています。

 

このCDに3曲とも収録されています。

 

それからフランスのジョリヴェ、トマジ、デザンクロ、などが一気にトランペット協奏曲を作曲しました。


トマジは色彩あふれる繊細な音楽

ジョリヴェは野性的でさらに前衛的

 

デザンクロ 祈祷,呪詛と踊り

オーレ・エドワルド・アントンセンの録音が最高なのでおすすめ。

 

これらの曲は演奏が非常に困難で、コンクールの本選などで必ず課されます。

ちなみに僕はこの時代が一番好きです。 

 

最近発掘された曲で、同時期に日本人の大澤壽人という人もトランペット協奏曲を作曲しています。

この中で挙げたどれよりも難しいあり得ない曲。

これをドイツの巨匠に紹介したら興味持ってもらってレコーディングとかするんじゃないかとちょっと期待しています…

 

このCDに収録

 

 

www.tomotrp.com

 

 

 トランペットは幅広いジャンルへ広がっていく

こうしてバルブトランペット完全に楽器としての立場を確立しました。

 

そしてジャズの花形になり、ポップスにも欠かせない楽器となっていったわけです。

 

オーケストラの重厚な音からこんな渋い音出せるってすごくないですか。

それからポップスの超ハイトーンまで。

メイナード・ファーガソン超すごい。

エリック宮城さん

www.tomotrp.com

とてもおもしろいトランペットの歴史

かなりざっくりといきましたがトランペットってこんな楽器です。

 

ちょっとでもトランペットに興味持ってもらえたり

なんだこりゃかっこいい!!

とおもっていただけたらうれしいかぎりです。

 

トランペット始めてくれちゃったりしたらもっともっとうれしいです。

 

※歴史に関しては諸説あるので、これはあくまで僕の知っている内容です

 

 この本がおすすめです。

 エドワードタールという管楽器の研究者の第一人者が書いた本の翻訳です。