あうすどいちゅらんと

ドイツの音大でトランペットを勉強中の齋藤友亨のブログ

【トランペット】Helmut Erb(ヘルムート・エルプ)教授の人生を語る【インタビュー】

 

Helmut Erbのプロフィール

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1945年ドイツのプファルツに生まれる。

1961年マンハイム音楽大学に進学し、その後シュトゥットガルト、パリでも学ぶ。

1968年シュトゥットガルトフィルハーモニーの首席トランペット奏者に就任。1969年州立劇場カールスルーエの首席トランペット奏者に就任。

1970年フランクフルト放送響首席トランペット奏者に就任。

1982年ヴュルツブルク音楽大学の教授に就任。

2007年からヴュルツブルク音楽大学の学長も務める。

ソロ活動も積極的におこない、1982年に南西ドイツバロックゾリステンを結成、編曲・出版も行う。

 

先日先生とクルージングに行ったときに本人から詳しいお話をお伺いしたので書いていこうと思います。

Homepage Helmut Erb

 

エルプ先生がトランペットを始めたきっかけ

先生のお父さまはSpeyerという南ドイツの街で楽器屋さんを経営されていて、10歳の頃に突然店のトランペットを手渡され、「これを持ってBlaskapelle(吹奏楽的なもの)で吹いてこい」と有無を言わさずに行かされたんだそうです。

そこで”教わらなかったけどなんとなーく吹けた”んだそうです。笑 

先生はピアノを幼い頃から習っていたので楽譜を読むことはできたので、指番号だけ書いてもらってなんとなく吹いていたんだとか。

それで音大生にならったりしたそうなんですが彼はやる気がなかったそうで、アマチュアのおじさんに習うことになったそうです。

 

ギターかトランペットか

同時にクラシックギターも習っていてかなりの腕前にはなったそうで、トランペット吹きになるかギタリストになるか迷ってギターの先生に相談した結果

”ギターで食っていけるようになる確率はものすごく低い。トランペットならオーケストラに就職するという道があるのだから、そっちにしなさい。”

と言われたんだそうです。

実際その時はギターに気持ちが傾いていたそうなんですが、迷わずトランペットにしたんだそうです。笑

「これもその時代の考えだ」とおっしゃっていました。

 

15歳でマンハイム音大に入学

それで15歳の時に、マンハイム音大のJungstudent(高校生で音大に入れるシステム)に合格し、Reinhold Lösch教授に習うことに。

戦争から帰ってきたそれはそれは厳しい先生だったそうです。

35歳くらいになるまで先生に電話するときはいつも緊張していた、とおっしゃっていました。

昔のドイツは日本と似ていて、師弟の上下関係はかなり厳しいものだったそうです。

”彼は王様であり絶対的なボスだった”

と先生は語ります。

 

現在のドイツは”師弟はチーム”という雰囲気なので、戦後に色んなことが大きく変わっていったようです。

 

彼からは奏法的に大切なこと、オーケストラのトランペット吹きとして大事なこと、ワーグナーの演奏の仕方などを学び、未だに守っているとおっしゃています。

15歳の時に教わったロングトーンの練習は65歳でヴュルツブルク音大の学長になるまで毎日練習していたそうです。

 

それから先生は18歳でザールブリュッケン国立歌劇場に客演するようになり、オーケストラとハイドンのトランペット協奏曲を演奏したりとソリストとして、オーケストラ奏者としてキャリアを積んでいきます。

Prof. Helmut Erb

23歳でプロオーケストラの首席奏者に

23歳の頃先生に突然”今度シュトゥットガルトフィルハーモニーのオーディションあるから受けに行ってこい”と言われ、締切をすぎていたのに申し込んで受けに行ったそうです。

 

その当時の西ドイツはロータリートランペットを使わなければならないという、今のような指定はなかったらしくオーケストラにもたくさんのアメリカ人が働いていたそうです。

先生はGetzenのB管で受けにいき合格して首席トランペット奏者になりました。

しかし当時のシュトゥットガルトフィルハーモニーはまだBオーケストラだったので、仕事量もとても多く給料もそこまで良くはなかったのでしんどかったそうです。

 

そこでカールスルーエのStaatskapelleという歌劇場の首席トランペット奏者の募集がでたので、すぐに受けに行って合格したそうです。

 

そしてそれから2ヶ月後、さらに大きなオーケストラであるフランクフルト放送響の首席の募集がでたらしくまた受けにいったんだとか。笑

結構ギリギリに受けに来ませんかとリクエストをもらったらしく、先生はどのオケスタ(オーケストラのトランペットの大事なソロなど)を吹けばいいのか知らないままオーディションにいったそうです。

 

当時も、B管ロータリー指定ではなかったので、先生はEs管のシルキーピストンで吹いたそうです。

しかし周りは全員B管でハイドン。

 

先生がハイドンを吹き終わった時審査員から拍手が起こったそうです(普通はありえない)

 

そしてさらに、

”大きいトランペットも吹けますよ”とC管でイントラーダも吹いたそうです。笑

 

”ハイドンの協奏曲は当時ですでに10回以上プロオーケストラと共演していたからオーディションは自分にとっては演奏会のようなものだった” と語っていました。笑

 

 

”審査される”という心構えではなく、自分はこんなことができます、とみせに行ってる感じがしますね。

 

そしてオケスタもオケが提示していた課題は知らなかったので

 

”私はレオノーレとぺトリューシカとアルペンシンフォニーとツァラトゥストラが吹けます。”と自分から吹けるオケスタを提示したそうですw

 

そうやって先生はフランクフルト放送響の首席奏者に任命されましたが、カールスルーエの契約が1年残っていたためフランクフルト放送響に1年間待ってもらったのだそうです。

 

その時の同僚にオーボエ奏者の宮本文昭さんがいらっしゃり、親交もあったそうです。

あいつはうまくて、そしていい男だった」っと語っておられました。笑

サンクス!

38歳でヴュルツブルク音大の教授に。オケをやめたわけ

先生は38歳の時にヴュルツブルク音大の教授に就任し、フランクフルト放送響をお辞めになり、その後ラインホルト・フリードリヒが首席奏者に就任しました。

 

ドイツの音大の教授というのは社会的な地位も高く、週2~3日働いて年間5ヶ月休みで年収1000万円という素晴らしい職業なわけですが、先生がオーケストラをやめた一番大きな理由は

 

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オーケストラという仕事はやりがいのあるものだったが、拘束時間も長くてストレスも大きい。もっと自分の時間やソロなどの演奏活動にも専念したかった。

 

ということだったそうです。

 

そして先生が教授になりすぐにWerner Heckmannが入学しました。彼はGerman Brassという世界一有名なブラスアンサンブルのメンバーで、今僕も室内楽のレッスンをしていただいています。

 

彼は19歳で大学に入り、20歳で初めて受けたオーディションでシュトゥットガルト国立歌劇場の首席奏者に就任。

その後もフランクフルト国立歌劇場などにも多くの生徒が受かり、30人以上はオーケストラに入ったそうです。

 

そして長谷川潤さんもエルプ先生に師事され、読売交響楽団首席奏者に就任されました。エルプ先生はよく長谷川さんのお話をされます。

 

メキシコの音大の客員教授に

ドイツの音大の教授は、一度だけ1学期の休暇を取ることができるらしく、先生は40代の頃に一度この休暇をつかってメキシコで客員教授をしたそうです。

 

ソリストとして南米ツアーをした時にできた繋がりで頼まれたそうで、メキシコはとても楽しかったようです。

しかしメキシコについても1,2週間学校とコンタクトが取れず、やっと連絡がついていってみたら休みだったそうです笑

 

レッスンがあるからと見学にいったものの、全員の学生の前で1人がエチュードを吹き、それが終わったら解散という感じだったのだとかw

基本的に練習しないでテニスをやったりしてる人が多かったらしく、先生も休暇だと思って楽しみつつ、演奏会をしたりしてすごしたそうです。

Südwestdeutschen Barocksolisten 南西ドイツバロックゾリステン

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1982年に先生は南西ドイツバロックゾリステンを立ち上げ、ドイツ中で演奏活動をされました。

オーボエ2、イングリッシュホルン、ファゴット、コントラバス、チェンバロ、トランペット という変わった編成なのですがバロック時代の作品にはオーボエ2とトランペットとヴァイオリンと通奏低音というのはとてもよくある編成なので自然な響きになった、とのことです。

CDは先生ご本人が自作されており、現在は絶版となっていますがYoutubeにあげられるよう計画中です。

 

ヴュルツブルク音大の学長に就任

65歳になった時、先生はヴュルツブルク音大の学長に就任されました。

学長になってからは、ペンデルツキを招致しヴュルツブルクのドームで演奏会をしたりビックイベントが続きました。

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出典

Monteverdichor Würzburg - Hochschulchor - Chor Würzburg

 

上に立つ者はすべてを重く受け止めず感情的なってはいけない。常に一定の距離から物事を見つめておおらかにいること。

 

とおっしゃっていました。毎日のようにいろんなプレッシャーがおしかかってくる仕事も、常にリラックスして受け止めていればなんとかやっていける。とのことでした。

 

 

趣味をもつ、休暇を取ることの大切さ

先生は乗馬とヨットが大きな趣味で、それ以外にも歴史や文学などトランペット以外のことにもたくさんのことに興味がお有りです。

Prof. Helmut Erb

いい音楽をするためには余裕を持たなければならない。いつも疲れてがむしゃらになっていては創造性は生まれないし成功はつかめない。勇気を持って頭を空っぽにする時間をもつこと必要である。

ヨットにのって携帯電話のスイッチを切れば本当に一人になって心を落ち着かせることができる。

僕も先生と一緒にヨットで1週間デンマークへ連れて行ってもらいました。

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仕事の「生産性」はドイツ人に学べ 「効率」が上がる、「休日」が増える

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1月の引退・デビューコンサート

2018年1月にエルプ先生の引退とと19歳の先生のお孫さんもデビューということコンサートがありました。

先生の引退とお孫さんのデビューということで、教会は1000人のお客さんで満席でした!

https://www.instagram.com/p/Bd7eQ7IBFql/

https://www.instagram.com/p/BeC1TIThOje/

きれいな教会です。

エルプ先生の演奏

先生は65歳で学長になられてから数年間ほとんど楽器を吹いていなかったらしく、夏から少しずつ吹き始めていたそうでした。

そのコンディションの作っていき方もとても慎重で計画的で、勉強になりました。

 

何年も吹いていなくても音は出るが15分の協奏曲を最後まで演奏しきる体力と筋力をつけ直すのは大変なことだ」とおっしゃっていました。

レッスン中に吹いたり、大学で練習していったりと徐々に徐々に吹く時間を増やしていっていました。

 

そして本番、出てくる時のオーラも人を惹きつけるものがありました。

お辞儀をするまでの笑顔や雰囲気はお客さんを安心させるというか、自信に溢れたものがありました。自信満々に出てきた方がお客さんの緊張も解けるので演奏しやすい空気になるんだなぁと改めて思いました。

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そして一音目を吹いた瞬間から溢れ出る先生の音楽にはとても感動しました。

年齢によるテクニック・体力的な不安を一切無視した本当に"攻めた"演奏でした。ミスやスタミナのことなどのリスクを恐れないでどんどん自分の音楽をしていく姿をみてますます尊敬しましたし、聴けて本当に良かったです。

やっぱり人を感動させるのはミスのない妥当な演奏よりも、こんな演奏なんだと思えました。

 

通路に座っていたので先生の写真が撮れて良かったです!

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