”歌曲の王”シューベルト
シューベルトと言えばオーストリアの作曲家で、 1797年~1828年のとても若くしてこの世を去ってしまった人です。
時代でいうとベートーヴェンとも親交があったりした初期ロマン派に位置付けられます。
自作曲が弾けなくてぶちぎれたエピソードをすぐに知りたい方は目次から飛んでください。
- ”歌曲の王”シューベルト
- シューベルトと言えば魔王
- 魔王は作詞者のゲーテには最初は評価されなかった
- シューベルトのとても有名な歌曲
- 冬の旅
- シューベルトのピアノの即興曲
- 未完成交響曲
- 自分で作った曲が難しすぎて弾けずぶちぎれた
- シューベルトの31歳という早すぎる死
シューベルトと言えば魔王
みなさんほとんどの人が中学生の頃に授業で聴いたと思います。
結構なインパクトから僕の学校では若干流行りました。笑
日本語版も(授業はこれの男声版を聴きました。)
この曲は本当にかなりのスピードで書き上げられたそうです。
シューベルトの重要な友人の一人であるヨーゼフ・フォン・シュパウン回想によれば、この作品は1815年11月16日に極めて短時間のうちに成立したとする。
”シューベルトはある本のなかの魔王の詩を朗読しながら、興奮していた。本を手に行ったり来たりしていたが、突然坐りこんだかと思うとごく短時間のうちにすばらしいバラードが紙に書きつけられた。”
シューベルトが記譜の際に繰り返し部分を書き込まない癖があったことや比較的速筆であったことから、作品の書き上げが4時間程度であると推測されている。
シューベルトすごい。
この歌は一人三役で、魔王と子どもと父親を演じ分けます。
最初のピアノの連打は馬車の走る音をあらわしていると言われますが、ここが印象的ですよね。
魔王は作詞者のゲーテには最初は評価されなかった
18歳のシューベルトはこの曲をゲーテ本人に送ってみましたが、
彼の音楽顧問にも軽くあしらわれ、本人にもあまり気にいられなかったようです。
しかしゲーテは晩年になり別の歌手の演奏を聴き
「私は前にも一度この作品を聴いたことがあるのだが、そのときはぜんぜん気に入らなかった。
だが、あなたがいま歌ったように演奏されると、曲全体が一幅の絵となって目に見えるようにみえる」
と最終的には気に入ったようです。
あまり発表したころから有名だったわけではないらしく、色々あったんですね。
シューベルトのとても有名な歌曲
歌曲ならあとは”ます”と
野ばら
冬の旅
これは歌曲で一番好きです!!
そしてJonas Kaufmannというこのテノール歌手の演奏をベルリンで聴いたんですが、まさかのリサイタルであの2000人以上ホールで立ち見が出ていました…
イケメン
ちなみにこのDVDで、ちょい役のイタリア人テナー役で出ています
カウフマンのリサイタルではちょっと気の狂った様な女性ファンが、カーテンコールの時に妻のように平然とカウフマンについていき、SPの出動が遅れて伴奏のピアニストが追い払うという事態に。刺されたりしたら大変なのに…。
シューベルトのピアノの即興曲
シューベルトはピアノの作品もとても有名です。
特に有名なのは即興曲のこの2曲。
僕のおすすめは内田光子さんの演奏です。心あらわれる…。
未完成交響曲
シューベルトの交響曲で一番演奏される機会が多いのは交響曲第七番”未完成”です。
これは1,2楽章までしか完成していませんが名曲。
ユースオーケストラを引退するときに演奏しました。懐かしいし思入れが強い曲です。
ちなみにこれを作曲したの25歳です。
そしてこの頃に初めてベートーヴェンと初めて会ったらしい。
とっつきにくい”クラシック音楽”の聴き方をわかりやすく説明していく - しべりあげきじょう
自分で作った曲が難しすぎて弾けずぶちぎれた
シューベルトは未完成交響曲を書いた25歳の時に
”さすらい人幻想曲”というものすごく難しい曲を完成させました。
まさにヴィルトゥオーゾという超絶技巧曲。
こんな曲。
シューベルトは
「みんなみんなー!めっちゃむずい新曲作ったから聴きに来てー!!」
とみんなを呼んで演奏会をしました。
しかし最後の難しいところを何度もミスってしまい
突然演奏をやめて立ち上がり
こんな曲は悪魔にでも弾かせてしまえぇ!!!
と勝手にぶちぎれたというエピソードが友人によって記録されているらしいです
ちなみにドイツ語原文だと
”デア トイフェル ゾルディーゼス ツォイク シュピーレン!!!(Der Teufel soll dieses Zeug spielen!!)
呼ばれていった友達かわいそうです。
「新曲発表のライブしまーす!きてね!」
っていうからわざわざ聴きに行ってあげたのに、
勝手に弾けないような曲書いて勝手に自分の曲にぶちぎれるって
頭おかしいやろこいつ…
ってなりますよね。笑 間違いなく友達激減したでしょう
シューベルトの31歳という早すぎる死
死因ははっきりしておらず、魚料理が原因の腸チフスとも梅毒とも、その治療のために飲んでいた水銀中毒とも言われています。
高熱がでるようになり数週間なにも食べられなくなり死んだと手紙に記されているようで、当時は本当にちょっとした病気がすぐに死につながったんだなと悲しくなります。
この曲を書いてから6年後に亡くなりました。天才は早死にですね…。
フランツ・シューベルト あるリアリストの音楽的肖像 (〈叢書ビブリオムジカ〉)
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