ナチュラルトランペットのレッスンを受けにバーゼルへ
僕はヴュルツブルク音大で、バロックトランペットという古楽器も勉強しています。Hannes Rux教授という専門の先生がいて、定期的にレッスンを受けてきました。
ヴュルツブルクには古楽科があるのでバロックトランペットに興味のある方におすすめです。
Jean-Francois Madeufとは
仏リヨン国立音楽音大に在学中に古楽器を始め、卒業後はオーケストラで働いたのちエドワード・タールの後任として2011年にSchola Cantorum Basiliensis の教授に就任。
音孔を用いないナチュラルトランペットの第一人者として世界で知られている名手。
Bach Collegium Japanメンバー
Madeuf教授は音程を調節する穴を用いない当時の本当の演奏スタイルの研究に尽力していて、演奏の困難なその楽器でバッハなどの超絶技巧も演奏する唯一無二の存在です。
日本でもよく演奏されていることもあり、ずっと興味があったので試しにホームページからメールを送ったらレッスンをしてくださることになりました。
レッスンの内容というのは公開すべきではないと思うので詳しくは書きませんが、とても素晴らしいレッスンでした。
僕は穴ありで吹いていますが、伝統的なアーティキュレーションの奏法やどうやって音楽を作るかということ、たくさん学べました。
先生はたくさん吹いてくれるのですが、その演奏が素晴らしすぎてとても感動しました。録音だけ聞いていると、ナチュラルトランペットの音程の難しさが気になってしまいますが、とにかく音と音楽が素晴らしい。
穴があいていないからこその中身のぎゅっと詰まっている音と、歌いまわしで音程のことを気にさせないという感じ。
Bach: Brandenburg Concerto no. 2. Kuijken, La Petite Bande
ここまでの良さがあるなら穴無しもいいなあ
とおもいました。今までは結構否定的だった考えが簡単に覆りました。
そして意外と、指の操作はいろんなことへの妨げになっているんだと実感。モダンだと指はもう自動的にソルフェージュと一致しますがバロックは違います。
”ただでさえ演奏するのが難しい楽器なのにそれに複雑な指の操作まで加わったら難しい。息と音楽のことだけ考えられる穴無しの方がむしろ楽だよ。笑”
といっていました。うーん簡単ではありませんが、指って結構邪魔しているんだなとは思えました。
音程がおかしくなってしまうFとAだけは穴を使って、それ以外はふさいで吹くのも良いなと思いました。
ソフトなタンギングも、教わった練習をやったらその場でできるようになって自分でも驚きました。すごい教授です。
とても気さくで優しい方で、うけに入ってよかったです。
エッガーで楽器を調整してもらっていたら偶然BCJの杉村さんとお会いしました!古楽界のいろんな話が聞けて楽しかった〜 pic.twitter.com/4xegOtu1de
— 齋藤友亨 Tomoyuki Saito (@tomotrp) October 11, 2018
フライブルクの写真
バーゼルとフライブルクが近いのもあり、彼女が住んでいるフライブルクへ少し遊びにいきました。
フライブルクは街がかわいらしい雰囲気で、ヴュルツブルクやローテンブルクとはまた違ったよさのある街です。
さりげなくはいっているマクドナルド。笑
日本と同じように景観保護的な感じなんですかね
ただの路地裏もなんだかメルヘンな雰囲気。
ミュンスター教会
近所に森があって、そこで練習していました。
基礎練習していたら3歳くらいの男の子がずっと遠くから見ていて、お母さんは早くいきたそうだったのにずっと動かないのでラピュタを吹いてあげました。
そうしたら喜んで拍手してくれて満足してくれたみたいでした。
ベルリンに住んでいた頃もよく森で練習してこんなことがあったなあととても懐かしい気持ちになりました。
ベルリンの森でハイドンを練習していたら、がっつりランナーの格好をした男性に
「いいね~!」と話しかけられ
「この曲知ってるんですか?」ときいてみたらまさかのDSO(ドイツ交響楽団)のトランペット奏者の方だったということもありました。笑
↓
フライブルクの歌劇場で、オペラ”オネーギン”をやっていたので観に行きました。学生8€。1000円で歩いて10分のところだったら日本でもみんな行くのかなーと思ったり。
ストーリーはなんだかなあというお話ですが、ソプラノの超長丁場のソロはすごかったですし、3幕で出てくるバスのアジア人の人がものすごい声でした。
バスであんなに感動したのは初めてに近いというくらいの歌…。
オペラ歌手には舞台役者の要素もおおきくて大変だなと思いました。やはり容姿もどうしても重要ですし。
オーケストラは見た目関係なくてよかった。
素晴らしいことに合唱にはたくさんのアジア人がいました。でもドイツ人達は見ていてどう思うのだろうなーといつも思います。
中世ヨーロッパの舞台に貴族の服を着たアジア人がたくさんいたら変だし、それは白人が歌舞伎をやっているみたいな感じなのかなとか
だからといっていれないのは人種差別ということになりますし、そこは難しいところだよなあと…。
次はベルリンへの
齋藤友亨